橋本派への日本歯科医師会連名の献金隠しから、国民の関心を引くようになった今回の政治資金規正法改正だが、この政治と金に関する問題は、どうも政治のほぼ全てに関わる問題で、ひとつ政治資金だけの問題ではないように思う。
その昔より、「政治には金がかかる」という。ようは選挙だと理解しているが、ここ数十年の間に金のかからない政治や選挙を目指した政府でも政党でもあっただろうか?個人ではいるが、その多くが既にマスコミに顔の知られた人間である。選挙運動の必要がそれほどない人間が、選挙に金をかけないのは当然のことで、そもそも土台が違う。そうではなく、選挙の仕組み、ポスターだとか、選挙そのものの問題だ。私が選挙権を得てから既に25年が経つが、その間に全くと言っていいほど何も変わって異なように思える。
相変わらず、車で大声を上げて立候補者の名前だけを連呼していったり、そこいらの民家の塀に、到底美的ではないポスターを貼りまくる。突然電話してきて、誰々をお願いしますという。その時点でその候補には入れないと決める、私みたいな男がいるにもかかわらずだ。
公明党が、献金の上限を決めるという案を出しているが、それはそれでよいとしても、背景に創価学会という巨大な票田、資金源を抱えていることが公然の秘密のようになっている政党が言っても、どうも先ほどのタレント議員の知名度に近いものを感じる。
国民の内、公明党が政教分離していると思っている人がどの程度いるかはなはだ疑問だ。私は創価学会に含むところは全くないが、かつて、選挙前になると、ほとんど交友の無かった友人から親しげに電話がかかってきたりする経験をしているだけに、先ほどの選挙前のお願い電話と一緒で、公明党の議員がいかにいいことを言っても、投票しようという気が起こらない。
この、いかにいいことを言ってもというのは、そもそも選挙前にはどの政党のどの議員も同様にいいことを言うので、あまり判断基準にはならない。
構造改革を常に声高らかに標榜している小泉内閣が、当面の目標としているのは郵政民営化だが、それはそれとして、先日のいい加減な社会保険制度の改正や、特殊法人の問題等、あまり何も変わってはいない。実際簡単な上っ面をなでるように変えてみて、「ほれやってるだろう」といっているように私には見える。
政治資金規正法も、所詮は地位と金に執着しているように見える(たとえそうでないとしても、政治家や行政に厳しい変革を阻止しようとしているように見える議員の多くは、そうでないのと一緒だ)議員自らが決めるところに問題がある。
本来は国民のために政治を行うという大きな名目があるのであれば、国民が政治家をコントロールするとまでは言わないまでも、せめて監視して、させてはいけないことはさせないようにできる仕組みを作るべきだ。
選挙なんて役には立たない。選挙で選出された議員が何をするかが問題なので、少なくとも、選挙だけでは用をなさない。三権分立なのだから、政治資金規正法は裁判所ででも作ったらいいだろう。厳しいやつを。
それで資金が足りないと言うことになっても、その範囲で政治を行うのがプロって物だろう。そもそもどんな家庭だって、ない金の中で生計を立てているのだ。一つ政治家や政府のみがそれを逃れるようなのはおかしな話だ。