ビアスの「悪魔の辞典」は有名だが、世に『悪魔』という場合、一般的にはキリスト教のサタンやデーモン、デヴィルといったものが日本語では『悪魔』と訳される。デーモンはギリシャ語で「死者の魂」、デヴィルは同じくギリシャ語で「中傷する人(diabolos)」が語源だという。関係ないが映画の「ディアボロス」は大好きな作品だ。
「デビルマン」という永井豪の漫画があるが、あの中で主人公の不動明はデーモン族のアモンという悪魔と合体してデビルマンとなる。悪魔の頭領は不動の友人の飛鳥亮こと、サタンだった。
サタンはヘブライ語の「敵対するもの」という意味だそうだ。つまり、神に楯突くものがサタンなのだ。実際には旧約聖書の中でイヴを唆した蛇だったり、新約聖書の中でキリストを誘惑したりしている。黙示録ではサタンの数字を666とし、映画「オーメン」では、ダミアンの旋毛に666の文字が書いてある。
また聖書にはリチフェル(ルシファー)という堕天使が出てくるが、これも悪魔の代名詞のように使われることがある。よくSFなどで核爆弾にルシファーなどと名前が付いていたりする。
長い歴史の中で、悪魔崇拝などが行われ、魔女やら、雑多な悪魔が登場してくる。黒ミサなどを行って、悪魔を呼び出したり、映画や小説などにもよくあったりする。ハードロックバンドのブラックサバスも、バンド名は映画から取ったらしい。この辺りに端を発し、ヘヴィメタバンドの多くが、この雰囲気をよく使っている。
このサバスは安息日のことだが、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教でそれぞれ曜日が違うのは興味深い。サバスは英語だが、ヘブライ語ではサバトだ。ところが、魔女の集会のこともサバトという。この辺りの語義の変化もまたおそらくは歴史のなせる技なのだろう。
「私は悪魔だ」という人は見かけないが、「魔女だ」という人は時折ヨーロッパにいたりする。そういう人は大体魔女は悪い人ではなく、魔法を使う女のことだという認識らしい。薬草に長けていたり、人の運命を占ったり、意外と占い師との境界線が曖昧な感じもある。そもそも、悪魔が男性を指すから魔女が女性というのとも、実は違うようである。
確かに、「魔」という字は梵語の「マーラ」を音訳したもので、そもそもは仏教系の悪魔のことだ。日本語ではキリスト教であろうが仏教であろうが、「悪魔」というので解りづらいが、仏教の「マーラ」は、どちらかというと釈尊の成道を妨げる、いわば「煩悩」の具象化であり、キリスト教のように想像上でも実体を伴う生き物とはちょっと違う。尤も、悪魔が生き物かどうかもよく分からないが。
いずれにしても、いわゆる悪魔という単語は「悪い魔」ということであり、例えば魔法と言うときの魔なのだろう。ここには仏教的な「悪事をなすもの」という意味ではなく、むしろ不思議な物程度の意味がある。つまり、悪魔は「悪い不思議な物」、魔女は「不思議な女性」といった意味であるとすれば、解らなくはない。ただしかし、中世の魔女狩りなどは、悪魔の眷属、あるいは悪魔に魂を売った女という位置づけで、悲惨な行為が行われていたのであろう。
様々な宗教の中で「悪魔」という風に日本語で表現される何らかの異形がいる。これは、神を善とし、二元的にその対局をその異形に任せることで、バランスを取っているに違いない。砕いて言えば、世の中はいい物もあるし悪い物もある。だが、よく生きろと言うことだ。それが象徴的に悪魔という存在となり、様々な種類の悪魔を生んできた。
ゲーテの「ファウスト」にも出てくるメフィストフェレスなんていうのは時代を超えて、「悪魔くん」という漫画の中でメフィストという悪魔で甦ったりしている。元々はヘブライ語で「mephis(破壊する者)〉と〈tophel(惑わす者)〉」をくっつけた言葉だという。中世ではメフォストフィレスだったようだ。いずれにしても「メフィス」+「トフェル」だとすれば、メフィストという区切りはちょっとおかしい。
悪魔はかように、人に何かをもたらすことで魂を自分のものとすると言うことがよくあるが、考えてみると、これは仏教の「煩悩」とよく似ている。いわば人の欲望を煽って、悪魔の側に引きずり込むという構図だ。そう考えると、確かに長い歴史の中で、様々な悪魔が考え出されてきたであろうが、それは元々人間の心に内在する欲や悪心等の具象なのだ。
人類は生まれて以来、いつでもその欲望と良心の間で揺れていると言うことがよく分かる。そして、悪魔的な心を嫌い、戒めるのだ。
それにしても、グレートヒェンに代表されるように、純真な乙女というのは、男社会が生んだ、女性への憧れとか、あるいは母性への憧憬みたいなものがそこにきっとあるのだろうな。ジャンヌ・ダルクだって、きっと何かそんな何かあったのだろう。
そういう意味では、悪魔との葛藤を、悟りという方法で消滅させた仏教というのは非常に論理的かつ哲学的な宗教なのだなという感を深くしてしまう。どちらかと言えば、その方が分かりやすい。
ともあれ、悪魔学というものもあり、そんな本を読むときっと、「やっぱり悪魔っているのかな?」なんていう気にきっとさせてくれるのだろう。興味だけなら、きっと楽しい何かを提供してくれると思う。