「白い牙」と言ってもジャック・ロンドンじゃない。昭和50年頃にテレビで放映されたドラマのことだ。
主演は藤岡弘、。他に、佐藤慶、川津祐介、藤巻潤、ジェリー藤尾、鳥居恵子といった俳優陣が出ていた。刑事物というには異色で、でも当時は似た感じのドラマが結構あったようにも感じる。
その中でなぜこのドラマを上げるかと言えば、私が好きだからだが、ストーーリーはこんな感じ。
警視庁捜査一課の刑事、有光洋介(藤岡弘、)は、同僚で幼なじみの刑事、村木を射殺してしまう。村木は捜査上の絡みで裏社会とつながりができ、有光を煙たがったその筋の組織が、村木をそのことで脅迫し、有光を殺させようとする。しかし逆に有光が村木を殺す結果となってしまうわけだ。
村木は友人で同僚というばかりでなく、その妹が有光の婚約者だった。しかし有光は、その真相を誰に語ることもなく、同僚殺し(但し捜査上の事故)として警察を追われることになる。
警察を去った有光は、かつて八百長ボクシング事件で世話をしたことがある矢野(藤巻潤)とそのマネージャー大沼(ジェリー藤尾)とともに事件屋として生まれ変わる。柄の悪い探偵みたいな稼業だ。そこに、かつては有光を悪徳刑事として追っていた週刊誌記者の佐竹(川津祐介)が参加し、ドラマは続いていく。
結果的に初回と最後の数回が続いており、黒幕の代議士を追いつめていく有光だが、逆に元婚約者の杏子(鳥井恵子)、大沼、佐竹と次々殺害され、一人復讐を誓う。
これ以上有光に犯罪を続けさせたくないかつての上司草刈警部(佐藤慶)は、矢野の助けもあって、黒幕の代議士東郷を逮捕する。しかし強大な力を持つ東郷は、すぐに釈放され、捜査も打ち切られる。
そのことを知っていたかのように、悠々と警視庁の階段を下りてきた東郷を、駆けてきた有光の匕首が刺し殺す。敗北感にさいなまれる草刈警部の前に両手を差し出す有光。矢島正明のナレーションが重くかぶさる。
何とも印象的なエンディングで、当時私は高校生になったかならないかで、最初の放送は見ていない。再放送で見た印象がかなり強かった。
役柄としては、例えば角川であれば松田勇作を持ってくるような感じかも知れないが、藤岡弘、が演じると、ハードな中にも、柔和さみたいなものがそこにあって良かった。特捜最前線でも独特のキャラを演じていた藤岡弘、だが、それ以上に有光洋介という役柄が合っていたように思う。
しばらく前に、ケーブルテレビのキッズステーションというチャンネルで放送され、録画し損ねていたのだが、今回「刑事(デカ)フェス」という特集で改めて放映があり、ようやく見ることができた。DVDも出ているが、価格と考え合わせると買うのはちょっと辛い。第1,2回と最後の3回だけでも買おうかな(個々が話が繋がっているので)。
この当時の刑事物の常として、最近の刑事物とは全く違う暗さを常時漂わせているし、それは恐らくいわゆる庶民の生活感の向上に負っているところが非常に大きいように思う。さっき例に出した特捜最前線の主題歌「私だけの十字架(チリアーノ)」も大変名曲だが暗い。同様に、なかなか手に入りそうにない「白い牙」の主題歌は、本郷直樹が歌う「悲しみにつばをかけろ」。歌詞自体が、当時の歌舞伎町辺りの裏路地を連想させる。なかにし礼、菊地俊輔という大御所の手になる曲である。
この作品の凄さはやはりラストシーンだろう。絶対に現代では制作されないだろう。「法で裁けない物がいる」と、かつての上司である捜査課長に語る元刑事有光が取った行動は、黒幕を刺殺することだった。そして後日譚もなく、ドラマはそこで幕を下ろす。
最近の刑事物、あるいは特にミステリーは、事件が解決するための謎解きだけが主眼で、いかにも凄惨な事件や、暗い過去、悲劇的な告白などがあった後、必ずと言っていいほど、それを解決した主役達の平穏な日常が語られる。しかも、「後は法が裁く」か、内田康夫がお得意な犯人の自殺という結末だ。
確かにこれはリアリズムだ。事件と隣り合わせに日常はあるし、不幸の向こう側ではお祝いをしている。地震で被災している様子がテレビで連日流れていても、近県の温泉地でのんびりしているたくさんの人たちがいる。これが現実で、しかもそんなことは責められるわけでもなく、むしろ、そんなことで誰も彼もが自粛を始めたら大変な経済的損失だろう。
だがせめてドラマではそういうアクチュアルなリアリズムではなく、作品の中でのみ通用するリアリズム、本当らしさを追求して欲しい。
「白い牙」は、全部で26回、当然の事ながら中だるみしている。だが最後の3回のテンションは非常に高い!藤岡弘、が自分の元婚約者を盾にして生き延びているように見えても、それは効果的な演出だ。彼が物陰で短刀の鞘を抜き、駆け出すシーンは圧巻だ。ある意味これを上品にしたのがモンテクリスト伯だが、この泥臭さが、何とも日本的で納得がいくのだ。