由比敬介のブログ
お笑い
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 年末年始を実家で過ごした。わずか2日間程度だが、のんびりさせてもらった。
 テレビを何となく見ていると、さすがお笑い芸人さんは引きも切らずたくさんテレビに出ている。その中でも、波田陽区、長井秀和を、たまたまかも知れないが多く見かけた。
 波田は昨年の流行語大賞にもノミネートされ、長井も「間違いない」が相当流行った。
 年末年始を通して、お笑いブームの中、若手の芸人が勢いよく活躍する中で、この二人もその上位で活躍している。
 波田は、紅白から笑点まで5~8番組くらいで目にした。長井もそれに若干少ないくらいで、ほぼ同じ程度に。私が驚いたのは、その何回かの中で、ほとんどネタがかぶっていないことだ。
 波田などはもちろん、即興もあっただろう。確かにパターン化された芸なので、ある程度はそれにはめていくことで、通常の漫才のネタよりは工程が少ない分、いいのかも知れない。
 しかし、改めて芸人さんの頭の良さと、センスに脱帽した。昨年流行った漫才などを新年に見ると、意外にネタは同じものを何回もやっているのに気づく。普段はたまにしか目にしないから、それほど気にならないが、年末年始のだらだらしたテレビ鑑賞の中で、それはとても目に付きやすい。もちろん、そんなことで非難がましく言うことはないし、それがすぐに才能や面白さと結びつくわけでもない。
 それでも、例えばギター侍であれば、あれだけの人を斬っていくのは、なかなかの体力と精神力がいるはずだ。長井にしても、それだけのネタを年末年始のために作り続けていたのだろう。
 どちらかというと二人とも、「他人を肴にする」ことでネタを作っているので、人によっては嫌う人もいるに違いない。だが、今回見ていて、その「冴え」はなかなかなものだと思うし、がんばっていると思う。
 あれしかないのかと思うかも知れないが、実はお笑いの世界は、それほどバリエーション豊かな芸が生き残れるわけでもない。一つの芸でもいかにそれが優れているかが鍵だ。
 往年の芸人さんで、その人ならでは、というユニークな何かを思い起こすと、牧伸二のウクレレ、早野凡平の帽子ネタ、東京コミックショーのレッドスネークカモン!、堺すすむの「なーんでか」、ケーシー高峯等、その芸一つで長年やっている。漫才は漫才としてその中で、スタイルはそれほど変わるわけではない。
 例えばダンディ坂野だって、ネタさえ面白ければ、「ゲッツ」一つでいくらでも生き延びることは不可能ではないはずだ。しかし今年は1回も顔を見かけなかった。一過性の流行と、ネタの価値とは同一ではない。一過性で終わるのは、それがそれだけの芸でしかなかったと言うことなのだ。
 長井がいみじくも笑点で波田に対し「今年の流行語に・・・って言うじゃなーい・・・がノミネートされたことを揶揄って、去年はテツandトモだったぞ、と言っていた。それは恐らく、ギャグでもあり、同時にまじめな警鐘でもあり、自戒でもあるのだと思った。
 何事も、「ただの・・・」で終わるか、長く残るのかは、どんな世界でもそこに努力と運は必要だ。たかがお笑い、されどお笑い。短期間のこの年末年始に賭ける二人の意気込みを見たような気がした。

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