由比敬介のブログ
着物
着物

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 昼飯を食べていた店の年配の女性が、お客さんと会話していた。昔はずっと着物だったが、着なくなって、最近では一人では着られない。着付け教室にも通ったが、やっぱり洋服の方が楽だ・・・・
 着物の美しさ、とかはここでは全く無視して、実用的な意味においては、特に女性の着物っていうのは、どういう意味があるのだろうか?
 別にけちをつけているわけではなく、一人で着られない衣服というものが、着物としての価値を持つ場合は、実用性とはほど遠いところにあるような気がする。
 それでも着物を着る人はたくさんいるし、文化として成立している。韓国のチマチョゴリとか、ポンチョとか、それぞれの文化圏に独特な衣服としての着物という点はこれはまさに日本文化が誇る、美しい衣料だとは思うが、それ以上ではない気がする。
 さて、洋服というのは西洋から入ってきたから洋服というのだろうが、人間が着るに当たっては、かなり実用的に作られていると思う。何でも実用一点張りを主張しているわけではなく、着物などに比べるとそうではないかと思う次第だ。
 衣服というものが人間にとってどういう役割を果たしているのかと言えば、防寒や外部との接触によって傷つくことを防いだり、羞恥という感覚を補ったりなどが考えられる。
 その中で、腕や足を通す筒状の者をきれや皮などで作り、身につけるという発想は、非常に理にかなっているが、布を体に巻き、上から縛るという体の着物という衣類は、機能的な意味からいうと、非常に原始的というか、単純な構造であるように思える。
 これはあくまで思えるなので、着物を日常的に着たことがほとんどない私にとっては、着物のメリットというのがよく分からない。
 いや、これは単に今日、その会話を聞いて何気なく思ったことだ。
 100年200年先にはほとんど着物がなくなっていると言うこともあるのだろうか?
 それともやはり文化なので、その頃でも今と同じように着られているのだろうか?なんて思ったのだ。
 機能的に優れていれば、多少形を変えても残って行くに違いないが、そうでなければ淘汰されてしまうなんて言うことは・・・・
 もちろん着物に限らない。文化や伝統などというものは、非常に長い歴史の中では栄枯盛衰限りないに決まっている。
 今読んでいるペリー・ローダンは脳だけ盗まれたローダンが、ナウパウムという別の銀河で活躍する話だが、そこの文明は1万年前から続く「歌」なんていうのが出てくる。1万年前って言えば、中国4千年の歴史のさらに1.5倍ですぜ。そんな長い間残るものがどれほどあるのだろうか?
 1万年後の世界を、ああ見てみたい。

2件のコメント

  1. とも

    一人で着られない着物はもともと身分の高い人たちが召使いを使って着ていた物です。それが廃れていくのは当然でしょうね。庶民はそんな着物は着ていませんでした。あと、洋服でもズボンは西洋ではなく東洋が発祥です。騎馬民族が馬に乗りやすい為にはいていたものです。ちなみにブーツも馬に乗る騎馬民族発祥です。ズボンがヨーロッパに伝わる前の衣装はスカートでした。今でも東欧では男性でもスカートをはいている民族がいますね。

  2. 由比

    ともさん。貴重な情報ありがとうございます。
    スカートはどちらかというと着物と似たような発想の気がします。ズボンよりも作る手間がないし。・・・いや、着物まで行くとその方がよっぽど手間かもしれませんが。

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