しばらく前に「大宇宙の旅」という本を人からプレゼントされた。
荒木俊馬という1978年にすでに亡くなっている、京大の教授で、京都産業大学を創設した宇宙物理学者が、昭和25年に出版した本だ。昭和39年に再版されたときには、少年少女科学名著全集というのの第2巻として出されたという。
宙一という中学生を主人公にした小説の体裁を取り、当時の宇宙科学の情報を、きめ細かく書いてある・・・・って、すごすぎるぞ!当時の中学生はこんなにレベル高かったのか!と驚くほどな内容だ。
宇宙の話なので、当然のことながら、その後に解ったことや、変わったことなどは書いていなかったり、違っていたりする。
例えばアンドロメダ星雲までの距離、太陽系から70万光年となっている。ぼくが子供の頃は、150万光年とか、190万光年、場合によって200万光年だった。現在では230万光年くらいかな。宇宙が膨張しているとは言っても、こんなに急激ではないはずなので、いろいろな測定方法で、正しい数値が割り出されたと言うことか。しかし、これだけ変遷していると、230万光年すら怪しい感じは否めない。そもそも光が230万年かかって届く距離の訳だから、確認のしようがない。
70万光年という近距離にあるということで、アンドロメダ星雲は銀河系の3分の一くらいのサイズという風に説明がしてあるが、距離が3倍以上に伸びたわけだから、大きさも3倍、つまり銀河系とほぼ同程度かそれ以上の大きさを持つということに現在ではなっているわけだ。
10年後にどうなっているか楽しみなところだ。
宙一君は、なんと打ち出の小槌で大きくなって宇宙を旅するという、そのあたりは確かに中学生とか低学年をねらっているわけだが、中に出てくる数式や計算は、ちょっと待ってくれと言いたいくらい難しいものもある。
変光星の高度変化から星の大きさや距離を求めるなんて、中学生には無理だろう、と思うことまで書いてある。そんなことだから、かつて天文学者にあこがれていたような人間が、簡単に挫折できるほど、天文学や宇宙物理というのは難しいということなのだ。
大人が読んで非常に楽しい。
実は先日の冥王星騒動で、冥王星の発見年など何年だかよく知らなかった上、この本が出た年もよく分からなかったので、もしや太陽系の惑星が8つと紹介されていないだろうか、などと淡い期待を持っていたのだが、そんなはずはない。しっかり冥王星まで書いてあった。残念。
昭和39年の追加は、人工衛星の話題なのだが、昭和39年、つまり1964年だから、アポロはまだ月に言っていない。米ソの宇宙開発競争で、ソ連が先に宇宙に行った話などが書いてある。
人類初の女性宇宙飛行士、テレシコワは「私はカモメ」と言ったが、ウルトラQで「弾丸超特急」という話だったように記憶しているが。実験動物のM1号が列車ごと宇宙に飛び出し、確か「私はカモメ」と言っていたような記憶がある。
ウルトラQはリアルタイムで見ているのが、昭和40年か41年くらいだと思うので、テレシコワがこの本に載っているということは、昭和39年より以前に宇宙へ行き、M1号はその数年先、タイムリーな台詞だったのだ。
当時こんな本があったとも知らないし、読んでも解らない。宇宙に興味を持って、本を読んでいた記憶は小学校の高学年からだったし、最初はまんがと図鑑だったから、こんな本には巡り会わなかった。巡り会っていたら人生が変わっていたかな。
まあ、あまりがんばらない人なので、無理だったな。
この本には、その後の宇宙の話として福江純という学者が、最近の話題などをしっかり補遺的に載せてくれている。だが、この荒木先生と福江先生の時代の差を最も大きく感じさせてくれたのは、宇宙の話題そのものよりも、福江先生の「なにげに」という表現だった。
ああ、こういう本にも「なにげに」という表現が普通に使われる時代なのだな、と感じたわけだ。何気ないことが、むしろ時代を際だたせるという良い例だ。
表紙絵の松本零士が個人的には好みではないが、実は松本零士にとってこの本との邂逅が、後の作品に影響していると読み、なるほどなとは思った。
「999」とか、ほとんど見たことはないが、この本の宙一よろしく、宇宙を旅する主人公が多いのもうなずける。
年を食い、宇宙から遠ざかった生活をしている自分がちょっとだけ寂しかった。