といって、スポーツにほとんど縁のないぼくが書くのだから、水泳のことではない。
テレビのCMを見ていてふと思った。
何のCMだかよく覚えていないが、たぶんシャンプーとかトリートメントのCMだ。南海キャンディーズのしずちゃんが出ているやつだ。
海辺でたくさんの女の子が水着になってはしゃいでいるのだが、確かほとんどがビキニだ。当たり前と言えば当たり前で、今更ビキニがなんだという話だが、さて、人前でビキニになることは、海辺やプールでは当たり前だが、それは水着だからで、下着ではおかしいわけだ。
今、手塚治虫の「仏陀」をまた読んでいるのだが、ブッダに出てくる女性は、そのほとんどが下半身だけを隠し、上半身は裸だ。
当然のことながら、人類はその生誕の時から服を着ていたわけではない。最初は暖を取るためとか、危険を防ぐという目的だっただろう。そう言う意味では、一番の急所である下半身を隠すというのは、とても解りやすい最初の衣服だったはずだ。
それが全身を覆うようになる頃には、保温や保護といった目的だけではなく、羞恥や権威、ファッションなど、様々な目的がそこに付与されてきたわけだ。
さて、それでも尚、男性は下半身、女性は下半身と胸を隠すというのが、人前での最低限の現在の有り様だ。
長い年月を掛けてそうなってきたのだろうが、サラリーマンがネクタイを皆締めているように、よく考えると不思議な光景だ。
いいとか悪いとか、やめようとか、そんなんではなく、ふと、なぜ人間は他人に対してそこを隠すのか、あるいは、そこだけ隠せば取り敢えずいいのか、気になった。
もちろん、街中で水着というのはほとんど無いし、TPOなのは言わずもがなではあるが、なぜそのTPOなのか、が気になるのだ。
裏を返せば、そこを露出した写真集やDVDが商売になるわけだから、そこには単純なTPO以上のものがあるはずだ。
そんなとき、R25の記事で、家庭内全裸が流行っているというようなのを読んだ。mixiにもコミュニティがある。全裸がいい人もいるわけだ。
ヌーディストビーチなんていうのもある。
そんなことを考えると、水着というのはちょっと不思議な着衣なのだ。・・・ちょっと中途半端な。