あと5日ほどで参議院の選挙だが、ニュースや広報、テレビなどを見ていてもまだ誰に入れるかは決まらない。
自民に逆風と言うが、そう言い続けるとその逆になることもある。
逆風の原因がどこにあるかというと、必ずしも今の自民党が悪いとは言い切れない社会保険庁のデータが無くなった件や、相次ぐ閣僚の失言、疑惑などで、何となく立場が変われば民主からも十分出てきそうな話題ばかりだ。
ただそれでも、衆議院や参議院の半数弱は野党なのだから、相次ぐ強行採決というようなやり方はあまりよくは見えない。真っ向から反対し、相容れない部分は、最終的に多数決もやむを得ないが、それでも歩み寄りは必要であるように思える。
というと、自民は歩み寄っていると言うし、野党はそうではないという。自民は議論を尽くしたといい、野党は足りないという。ここにはあまり大人の解決は望めそうにない。
ただ、いろいろな疑惑を持たれながら、ルールに則っているからいいという態度を崩さない大臣などを見ていると、あの人にはやらせたく無いとも思える。尤もそのほとんどが衆議院なので、今回はあまり関係がない。
比例区と、選挙区の選挙管理委員会がまとめた資料がポストに入っていた。
これだけで十分なような気がする。無所属や諸派の人たちのものは大変面白い。
神田敏晶さんのインターネットをもっと選挙に活用して無駄を省くというのは、昔から僕も思っていたし、さっさとやってほしいことの一つだ。でも、彼に1票入れて、それが実現するだろうか?
テレビで、保坂さんぞうは組織票、丸川珠代は認知度で浮動票のようなことを言っていたが、これだけで、自民には入れたくなくなる。そもそもこの組織票なる物、「癒着」をそのまま表明しているようにしか、僕には見えない。選挙の根本が何かゆがめられている。
といって、公演で、歌い上げているすずきかんや、その後に例の「目に入らぬか~」と、民主党のロゴが入った印籠を高々と上げているじいさんがいるような民主党も、ため息をつくしかない。
社民党は9条を守れしか言わない。今のままの9条だって、自衛隊は海外へ行くわけだし、本当にそれを阻止指定のなら、より強固な憲法への改憲を叫ぶべきではないのだろうか?9条を守ることが平和への道を守っていることになるのだろうか?
公明党は、興味がない。
共産党は、実は結構いいことを言っているが、そもそも共産主義をいつまで標榜しているのだろうか?言っていることを全て実現できたとしたら、きっと日本は大きく変わるだろうが、必ずしもいいことばかりではない。
ドクター中松がなぜあれほど政治家にこだわるのかがよく分からない。きっと、黒川紀章と一緒でお金が余っているに違いない。
実は全ての候補者がそこそこいいことを言っている。問題はその実現性だし、方法論だ。さらには賛同できない部分ににある。
年金問題を今のままでいいなどといっている人物はいないし、政治と金の件だって、透明度だとか、お金をかからなくするだとか、選挙の時に、悪いことを言う人はいない。
それでもいざ議員になると、集団力とでも言うのか、自分たちに都合のいい法律を作って「ルールに則っている」という。そりゃ自分たちで作ったルールだから、よくできているはずだ。
先日「封神演義」を読んだのだが、中国の古代の賢君や理想は、どんなときでも、水戸黄門と一緒で、まず庶民だし、そのために努力するのだ。まさに理想なので、その通り実現できないのが世の常だが、多くの政治家を志す人たちが、理想を求めているのだと信じたい。
でも結果そうではないのだよな。
一体この矛盾はどこに原因があるのだろうか?有史以来、数千年経っても人類は理想的な国家運営や世界を構築できていないところを見ると、自ずと限界があるのかも知れない。
選挙もまた、妥協なのだよな。