世界的な不景気の中で、輸出産業の最右翼である自動車の輸出が減っていて、トヨタ、ホンダなど、大手の自動車会社も大変なようだが、同時に、国内でも車が売れないという。若者の車離れ、というような表現で、テレビでは語られていた。
車離れの一つの原因は、「買えない」ということだ。車は駐車場代も含め、購入後の維持経費もたくさんかかる。ワーキングプアと呼ばれる人たちが増えているのだから、自ずと車をもてない若者が増えているのも頷ける。
同時に、少子化という側面もあるから、全体のマスが減っているということもあるだろう。
環境対策としてのカー・シェアなども一因だろう。
ぼくは免許を持っていない。会社を辞め、取り敢えず免許を持っていた方がいいかな、と思ったとき、一度だけ教習所に通ったが、仮免に落ちてめんどくさくなって止めた。元々どうしても欲しかったわけでもなく、いや、高校時代からの思いで、むしろ車は運転したくなかったので、そんな気持ちも、途中で止めることに何のためらいもなかった。・・・もったいないという気持ちはあったが。
現在とはそもそも考え方は違うが、高校時代のぼくは、文明と自然ということに、ことさら興味を持ち、人類という種が、全宇宙を包含する自然を破壊する悪のように考えることがあった。ただ、もともと突き詰める性格ではないので、それは、小説を書くという方向で展開された。
現在、地球温暖化や環境保護がやかましく言われるが、ぼくが高校生の頃は、公害問題がとても大きな社会問題だった。今だって小さいわけではないが、当時に比べて企業も社会も、問題意識を持っているし、自然も川も、綺麗になったところが多い。
さて、こういう環境問題が顕在化している現代、いろいろな本を読んでいると、必ずしも地球温暖化について言われていることが正しいのかどうか解らないが、可能性としてあり得るのであれば、対処しておいた方がいい。その対処が別の災厄を生むというのなら別だが。
その上で、車離れ、というのは自動車会社にとってみれば、会社の存亡に関わる大事なことだが、環境問題から言えばむしろ素晴らしいことではないか。
現代社会における車の役割は、もはやその功罪の罪をいくら論ってみたところで、その功が圧倒的に勝っていることは言を俟たない。
だがそれでも思うのだ。自動車会社には悪いが、車が売れなくなる社会は決して、今のところ悪くはないのだ。
エネルギー問題は元より、完全に事故を防げるような車が開発されない限り、車が走る凶器であることは変えようもない事実であり、数が少なければそれだけ、その確率は減るのだ、と。