ライブドアとフジサンケイの攻防が続いているが、こと株などの話になると、とんと弱い。
株式を上場するということは、株主を公募し、資金を調達することだから、当然株主の力は強い。株主総会で議決権のある株の50%を超える株を持てば、これまた当然、経営の実権を握れる。非常に明快な論理だ。
ホリエモンの言う、「誰が株主になるか解らないのが嫌なら上場しちゃだめ」というのも確かに当然だ。
会社の経営というのは、それが中小、しかも個人企業に近づけば近づくほど、社長の企業、あるいは近親、友人、創業者などの非常に限られた人物の資産となる。株主=経営者という図式は普通だ。少々大きな会社だってワンマン社長が切り盛りしている会社は少なくない。西武なんてその典型だったろう。
従業員は、役員=従業員でない限り、何らかの形で雇用されているわけで、その会社に入社する前に選択することはできても、入社後は重役会や、取締役会、そして株主総会の言うことを聞かねばならない。そのための対抗手段がこれまで労働組合だったのだろう。
ニッポン放送はライブドア傘下になった場合、労働組合を作るという。これまでは必要なかったのだろうか?
私が以前いた会社も労働組合はなかった。同族企業で創業者の関係者が、概ね実権を握っていたと思う。社員が不満を持っても(社員はどんな会社でも、多かれ少なかれ不満を持っているものだが)、経営者と意見が合わなければ、ほとんどそれが受け入れられることはない。
今日、テレビ朝日の古館のニュースで会社は誰のものかというアンケートで、社員のものだという意見が一番多いというのをやっていた。個人的な気持ちとしてはそうだが、世の中はそうなっていない。
資本主義が生まれ、これまで確かに成長してきたが、資本主義は結局、資本家が世の中を動かす仕組みなのだ。人間という生き物の性向は、結局社会主義や共産主義には向かないというのが20世紀の東側諸国の結論であり、現在でもなおこれらの国家体制を持っている国がどんどん少なくなっていることを見ても解る。
人間のヒエラルキー指向は、どこかで頂点に立つ人間を設定することでしか世の中を動かしていけない。であれば、ただ一人、あるいはただ一つの機関だけを頂点に持つのではなく、数多い頂点をもって競い合う方を選ばざるを得ないというのが今の世の中だ。
株式というのは、小さな力でもその企業に対して少なからぬ影響を持つことができる制度だから、本質的にはごく限られた企業なり個人が、過半数の株を所有するというのは、言ってみれば自民党政治みたいなものなのだ。牛耳るというのはいつの世であっても、一面的だし、好ましくはない。
ホリエモンが友好的提携などという白々しいことをいうのは、過半数を取るなどという目標自体を持たない場合にのみ有効な表現だし、もちろんそれに対する防衛だとはいえ、放送法というものに縛られながら、裏を返せばその温床の中でぬくぬくとしてきた業界が、外敵に対する態度は、まさに現在の行政や特殊法人の様子を見ているようで応援したくなくなる。
インターネット万能論みたいな言い方をしたり、攻撃的な表現を使うことが、ライブドアの戦略だとしても、インターネットはまだ萌芽でしかないし、あらゆるメディアを飲み込むほど強烈でもない。なぜならこれは、あらゆる人間がメディアになる可能性を秘めることで、結局はメディアの意味を喪失させてしまうからだ。
例えば、文章を書ければ誰でも作家になれるのかと言えばそうではない。インタラクティブなメディアミックスとしてのインターネットの役割は大きな可能性だが、メディアの本質と、そこに依るプロフェッショナルな部分はどんな形であれ残る。
もちろん、これまでの発言からジャーナリズムの側が、ホリエモンが言った以上のことを引き出して過剰に反応している側面はある。しかし、時には過去と決別するために、あるいは新たな価値を生み出すために、多少過激な言葉は必要だ。この新旧のせめぎ合いはどんな時代のどんな分野にもあることだから、今回の問題が、それであるなら、大いに歓迎すべきことかも知れない。
しかし、前述したように、50%を超える株の取得という形で、実質的な買収-これをM&Aと言うのかも知れないが-を今回のような形で行うことが、それでは新しい価値を生むのかというと、実は私はそうは思っていない。
株主-経営者-従業員と書いたが、そこに-社会というのを付けて、この四者のバランスが大切な気がする。バランスというのは拮抗していればいいということではない。それぞれがいい関係でバランスが取れる力関係を保てるようにいることがベストで、それを目指した方がいいと思っている。
2600年昔、釈尊は覚りを開いた直後に中道を説いた。物事は何事も極端に走るべからず。これは単純に真ん中を行けというのではなく、極端に依らずと言うことが大切で、今回の騒ぎを見ながらふと感じた次第。経済は疎いが、所詮は人間関係に他ならない。そこで働くのが人間である限り。
こちらでは初めまして<笑。
どーでも良い事ですが、今HNをどーしようか困っています。さて・・・
他人事のような、しかも芸能リポートの延長のままの(フジテレビ&ニッポン放送以外の)各マスメディアの反応には、辟易してます。そう言う意味でも、今回のLivedoorの考えは判る部分もあります。
しかしだからと言って、「金さえあれば」「違法でないなら」という理論はまさに「○や」そのものと言え、常識ある態度とはとうてい思えません。プロ野球界から総反発があったのが、ここでようやく理解できました<汗。
新球団の時には、あまりそう言う感情はなかったのですが、ここにきて大っ嫌いになりましたね、ホリエモン。
オールナイト・ニッポンのDJでがんばっていたカメ(現社長)、アマちゃん(現副社長)が、本当に正しいのかは判りませんし、現体制のままが良いか悪いかなんて判りません。そして、体制を変える方がよいのかもしれませんし、そのためには荒療治も必要なのかもしれません。しかし、私の心に中にはなにか釈然としない、ホリエモンの言動があるのです。
ついに高裁がLivedoorを支持する決定をした。
個人的には、当然40%、不愉快60%かな・・・
カメちゃんも苦渋の決断だろうが、Netでは意外にホリエモン支持(まあメディア的に当たり前か)が多いのには驚愕。あるblogでは「敵対的買収」の意味を熱く論じていたが(それこそtrack backか・・・)、なるほどと思うと同時に、株主は単純にマネーゲームとしてしか考えていないのかもしれないとも感じた。
また本丸?と思われているフジテレビは、ソフトバンクが筆頭株主とまさしく新球団に続く第二ラウンドといった様相。もう何がなんだか、誰が良くて誰が悪いのか、判んな~い・・・。でもホリエモン、テレビで見たくないぞ~キモイ。
あ~自分のブログでやるべきことで、反省m(__)m。