NHKのニュースで「皇室典範に関する有識者会議」をやっていた。女帝問題に関しては先日ちょっと書いたが、世の中はいろいろな見方がある。
西尾幹二氏による「正論」への記事がここに載っている。これを読むと、歴史の重要性という中での天皇制の意義みたいなものが解る。
ただ、解ったところで、その論に与するかどうかは別の問題だ。
「万世一系」なんていう言葉を聞くと、戦前・戦中にはきっとそういう言葉で天皇を称揚したのだろうな、なんていう高度成長期の走りみたいな頃の生を受けた人間としては、当時のことをあまり知りもしないで思ってしまう。
確かに天皇制に関して言えば、私は知識が少ない。よくよく考えると、女帝問題より先に、そもそも天皇制そのものに関して、いいの悪いのというほどものを知らない。まあ、こういう人も私だけではなく非常に多いことだろう。
同じ人間に生まれて、天皇と自分たち、何が差があるのか?と、かつては思ったこともあった。若い頃である。
では、歌舞伎役者の家に生まれれば、その多くが歌舞伎役者になり、名前を代々継いでいくことと、それほど何が違うのだろう?神武天皇が本当にいたのかどうかなんて知らないが、結局は武力で日本を統一した王様だと言うことで、世界のあちこちにそういう王様はいる。
世の中には最高権威者の称号がいくつかある。王、皇帝、天皇、大統領などだが、微妙に違う。中国などでは、「帝」の下に「王」がいたりするし、そうなってくると、そもそも言葉の意味としての問題を解き明かさねば、この話題は議論が難しい。
天皇は、日本国憲法で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とある。この一文がそもそも、歴史を蔑ろにしている。日本国憲法の中では、国民が「止めよう」と言えば天皇制をやめられる。歴史などどうでもいいという風になっていると言うことだ。尤も「総意」に関しては憲法に記載がない。
さて、有識者会議でも「歴史」の大切さということを述べられている人がいる。
翻って、「過去」を守ることはそんなに大切なことなのだろうか?というのが私の根本的な疑問だ。「神武以前」はどうだったのか?何事にも始まりがあれば終わりもある。実は歴史の重みなんていうのは、現在をいかに素晴らしく生き、未来をいかにいいものにしていくかというための教材にしか過ぎない。それが私の考え方だ。たとえ連綿と続いてきたことだって、今と未来のためならどんどん変えて新しくしていく、それでこそ歴史の価値があるはずだ。
有識者会議は「男女平等論で女帝議論せず」ということで、それはそれでいいと思うが、ことさらこういう風にいうところがどうも腥い。洋の東西を問わず、多くの宗教や伝統で、女性は低く見られている。「汚れ」ているように見られている場合もある。これは多くの国に認められることで、例えばイスラム教で女性が顔を出せないのだって、似たようなものだ。
この、世界中にあるということで、実は男女は平等ではないのだ、という見識を持つのも根拠のないことではない。しかし、今時そんなことを言ったら、石が飛んできそうだ。じゃあ、レディー・ファーストはどうなるというような問題だ。
天皇にはそもそも人権がない。なぜなら象徴だからだが、そもそもその辺りに怪しさは潜んでいそうだ。天皇が政治上のトップだった時代から、神様に祭り上げられ、そして象徴になった。つまり、どこかの時点で日本人が天皇から人間性をはぎ取ったわけだ。確かに、人間になる前は神様だったのかも知れないが。
現代に神がいないのはニーチェのせいではない。科学至上主義がそういう世の中を作ったのだ。その中で、人でない人が存在すると言うところに歪みがあるのだ。人ではないのだから男女平等なんて関係ない。だが、人ではないことを人が決めるってどういうことだ?
なんだかこの件は、天皇家に訊いてどうしましょ?と尋ねるのが一番のような気がする。女帝問題だけではない。天皇制そのものもだ。歴史なんてその時は、どうだっていいじゃないか。今のこの動きも、10年経てば歴史の一こまだ。