今年は地震の多かった年だ。特に大きな地震が。
新潟、北海道、スマトラ沖と後半だけで3回も起こっている。地震のホームページを見ると、8月からマグニチュード5以上の地震が日本付近だけで6回起きている。巨大な地震に関しては例年よりは大分多い。
地震は揺れによる家屋の倒壊や地割れ、引き続く火事など、地震そのものだけでなく、付随する現象が恐ろしい。今回、スマトラ沖の巨大地震は、津波だった。日本でも過去、奥尻や秋田など、記憶にあるだけでもいくつかの津波による惨事がある。
この世の中で、天災はいずれにしても防ぎきれない。地震、台風、噴火、など、星が起こす災害には、人間はあまりに無力だ。
しばらく前に読んだ本「揺籃の星」は星が地球に衝突する話だった。これだって無いとは言えない。少なくとも長い地球の歴史では何度も起こっていることだし、恐竜の絶滅の原因も現在ではそこに根拠を置いているのだから。まあ、月の表面を見るだけでも、大気がなかったら、いかに多くの天体が地球に落下しているのか、そしてそのいくつかはいかに地球に被害を与えるのか、「ディープ・インパクト」や「アルマゲドン」を見るまでもなく、明白だ。
人が住む大地で、自然災害の皆無なところはほとんど無い。幸せなことに、私はこれまで、大きな自然災害には巡り会ったことがない。でもそれは、これからもそうであることを一切保障しない。それが自然災害の恐ろしいところだ。
昔、「日本沈没」とか、巨大地震をテーマとした小説や書き物、あるいは映画などが流行ったことがあった。1970年代の前半だ。当時は「ノストラダムスの大予言」もベストセラーになり、世紀末まで30年近くある中で、週末ムードが漂っていた。
「日本沈没」は、文字通り日本が沈んで日本海が無くなってしまうお話しだが、小松左京は科学的なデータをたくさん付けて、中学生には難しい小説を書いていた。
実際に、近いうち日本が沈まないまでも、それほど破滅的な事が起こることはないだろうが、破滅的というのはそれが自分自身に関われば、今回の新潟中越地震などはまさに破滅的でさえある。
プレートテクトニクスにより、地面の下では対流が起こり、常に動き続けている。太平洋プレートは日本の下に潜り込み、反動で地震を起こす。この動きが大陸を動かし、今の世界を形作っているとすれば、大地の動きは地球の脈動であるし、星もまた生きていることの証左なのだろう。
地震の予知は非常に難しいという。直感的に分かるような気がする。よく、動物は予知して逃げるというが、どこまで信じていいのか、仮にそれが確実なら、今頃予知できるようになっているのではないか?
人間は自然や生物に対して神秘的な何かを見たがる傾向にある。いいことも悪いことも神の思し召しというわけだ。それはそれで信仰という面からすれば重要なことだろう。否定するつもりはない。しかし、そこから科学的に何かが導き出せない限り、やはりその時点では迷信に過ぎないし、偶然なのだ。
ただ、仮に予知できたとして、それがどの程度のタイミングで、どれほどの確度をもってされるのかが問題だ。1時間前に震度7の地震が起きると予報があれば、どこかへ逃げることができるだろうか?確かに避難場所へは行けるだろう。しかし家の倒壊は予報の如何に関わらず、防ぐことはできない。もちろん地震予知が無意味だと言うことではない。そうではなくて、地震そのものをコントロールできるようになるまで、地震の恐怖はあまり変わらないと言うことだ。
今これを書いている間に地震があった。東北らしい。やはり大地の揺れというのは、「足下を揺るがす」大事件なのだ。