由比敬介のブログ
選挙
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せんきょと打ったら第一の候補に「占拠」が出たが、今週末というか来週頭は衆議院議員の選挙だ。
新聞各紙の報道は、圧倒的な自民党の勝利だが、そもそもそれを狙って解散に打って出たのだろう。
選挙というのは有権者にとっても実に難しいもので、例えば自民党とその立候補者に1票を投じたとしても、その党や立候補者のどの政策に対して1票を投じるのかは意思表明が一切できない。アベノミクスに賛成で原発再稼働には断固反対という人がいたとしても、当選後は彼らはそれも含めて信任をもらったというに違いない。
それはことさら自民党に限ったことでは無い。言ってみれば、定数削減といういわゆる身を切る改革に反対している共産党や社民党のような小さな政党は、実現可能性があるかどうかは別にして、口にする政策は非常によかったりする。まぁ、間違っても政権を取るということが無いので、自信を持って言えるに違いない。理想と責任は、いわば対極にあることが多いからだ。
もちろん彼らが定数削減、特に比例区の削減に反対する理由はよく解る。小選挙区制という民意をあまり反映できそうもない単純多数決の選挙システムは、どう考えても彼らには不利だからだ。逆に言えば、その中で小選挙区当選を果たす議員はめちゃすごいという話になる。
選ぶ側から言っても、ではそういった少数政党に投票する意義がどれほどあるかということになると、その主張が政策に反映されることは極めて少ないので、可能な限り1票をムダにしたくなければ、ある程度発言力を持つ可能性がある政党の方がよりよいかななどと考えてしまう。もちろん、共産党や社民党のここの議員がムダだと言っているわけではない。彼らの追求から政治が動くことだってたくさんあるからだ。
逆に言えば、一強多弱をもたらしそうな今回の選挙に幻滅を、始める前から覚えたりもするわけだ。

それでも投票には行くし、白票と言うことも無い。

話はそれるが、先日テレビで「白票でもいいから投票に行きましょう」と呼びかける(アナウンサーだったか解説員だったか忘れたが)の場面と、ネット上でむしろ白票を投じようという呼びかけを行っているサイトのニュースを見た。
個人的には、白票は投票しないのとまったく同じ行為なので、白票を投じるなら、散歩でもない限り投票所に行く意味は無いと思っている。投票所で選挙に来ましたというチェックが重要なわけではなく、参政権というのはあくまで自らの意思表明であるからだ。
では、棄権や白票が意思表明では無いのかと言えば、あながちそうも言い切れない。誰にも入れたくないという意思表明、あるいは決まった結果に従いますという少し積極的な意思表明と取れないことはない。もちろん、本人はそんなこと考えて棄権する人はまれだろう。どちらかというと、面倒とか興味がないという人たちが多いに違いない。だが世界に比べたら圧倒的に平和を享受している日本では、誰を選んでもそう変わらない(恐らくこの表現にはネガティブな意味ばかりではなく、多少のポジティブな意味もあるのだと思うが)から、選挙に行かないという選択肢もあるに違いない。
無理矢理義務化したとしても、まじめに投票しないとすれば意味は無いが、とはいえ、本気で参政と言うことを考えるのであれば、義務化の手前でたくさんできることはある。
日曜日に公共の場を政治の都合で突然投票所に変え、そこで行われるはずだった行事を中止に追い込むなどと言う、目立たないがひどいことを行うのも選挙だと言うことを行政や政治家が自覚して、ネット投票の導入や、期日前投票ではなく複数日をかけて投票できたり、投票所を可能な限り生活に影響ないような場所でできるようにしたり、やることはたくさんある。紙とか投票箱はよくなったのかも知れないが、投票所については何十年も変わってない気がする。

話があちこち飛んだが、選挙というのは「我々が政治を変える」とよく言われるような非常に前向きなケースもあるが、その反面「多くのことを諦める」決意をする場でもあると言うことを、よく考えなくてはいけないのだと思う。
株価が上がればこの世は万々歳なのか?給料が上がりさえすればいいのか?逆に、原発さえ動かなければ、あとはどうでもいいのか?どこで戦争が起こっていても日本が平和ならそれでいいのか?とか、様々なことが実は突きつけられているということだ。

これまで自分の投じた1票が生きたことも無駄になったこともある。無駄とはもちろん、落選議員に投じた1票だが、後になって考えると当選しても無駄だったかなと思うこともある。

今回は、どうするかな。一強多弱ってやはり良くないんだと思うが・・・・今回は難しそうだ。
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