由比敬介のブログ
ダルタニアン物語
ダルタニアン物語

ダルタニアン物語

 ダルタニアンと言えば当然、アレクサンドル・デュマの「三銃士」の主人公だが、「三銃士」には続編がある。「二十年後」と「ブラジュロンヌ子爵」だ。
 私はこの一連の長い小説が大好きだ。しばらく前に、復刊ドットコムのおかげで復刊も実現した。訳は昔の講談社文庫版の鈴木力衛氏のものだ。私は実は、この講談社文庫版の1,2巻を持っていない。「友を選ばば三銃士」「妖婦ミレディーの秘密」の2冊だ。なぜかと言えば、「三銃士」の上下巻がこれに当たるので、岩波文庫版を愛読していた私は、必要がないと思ったからだ、これは1970年代の中頃のことだ。手元の奥付を見ると、昭和50年第一刷となっているので、75年という事か。
 ながいもので1冊600ページ以上、全11巻という長大な話なので、この後重版されたのかどうか知らないが、ずっと絶版だった。
 物語はガスコーニュの田舎から銃士になりたくてパリに出てきたダルタニャンの一生の物語だ。「三銃士」は映画にもなり、アニメにもなっているようなので、今更話の筋を書いたところで、ネタバレにもならないだろうが、アトス、ポルトス、アラミスのいわゆる三銃士と出会い、友として当時のフランスの宰相リシュリューと戦うわけだが、デュマという人は、「モンテクリスト伯」でもそうだが、筆が乗ると止まらないらしく、非常に軽快でよどみない文章を書く。長編だが短い。
「三銃士」には王妃アンヌ・ドートリッシュとイギリスのバッキンガム公爵との恋愛に端を発した、ダルタニアンと三銃士の活躍や、ミレディーという妖艶な美(悪)女との恋愛と凄惨な結末、ロシュフォールという、後にダルタニアンとは友となる男との争いなども見逃せない。
「20年後」は、文字通り、三銃士から20年後の話だ。銃士隊の副隊長となったダルタニアンと、三銃士の面々は、友でありながら敵対する関係にある。この話はクロムウェルなども登場し、波瀾万丈で面白い。
 最後の「ブラジュロンヌ子爵」、このブラジュロンヌというのはアトスの息子だ。全11巻の内の6巻を費やす、異常に長い物語で、しかも半分くらいが宮廷の恋愛絵巻で、実は途中は退屈する。
 ブラジュロンヌ子爵の恋人で、ルイ14世の元に行ってしまうラ・ヴァリエールというのは実在するルイの寵姫だが、ディカプリオが出演した「仮面の男」の原作は、まさにこの10巻の辺りの物語だ。映画ではバスチーユでダルタニアンは死んでしまうが、デュマの物語では、かなり大団円を迎えての死と言うことになる。
 私は「仮面の男」の改編は、あれはあれで好きだ。素晴らしきかっこいいダルタニアンが描き切れているし、ルイが実はダルタニアンの子供だというのも面白かった。
 実際には、ルイはマザランの子供だとか、フーケの子供だとか、いろいろあるらしいし、鉄仮面を付けた男も、様々な説があるようだ。ルイ14世の双子の弟と言うことはないようだが。
 この長大な物語を、あれだけ矍鑠とした筆致で、一気呵成に書いたような感のあるデュマという人は、いったいどんな人だったのだろうか。息子のデュマもアレクサンドルというヨーロッパ人にありがちな同じ名前が付けられていて、日本では大デュマとか小デュマとか言われるが、息子の方もヴェルディで有名な「椿姫」を書いている。尤も、私生児だからかどうかは知らないが、親父のデュマのようなエンターテインメントに徹した歴史物語よりも、「問題作」が多いらしい。
 日本では、「三銃士」と「モンテクリスト伯」で有名だが、最近では「王妃マルゴ」が出たり、昔から東京創元社では「黒いチューリップ」が発刊されている。
 実は私は、「モンテクリスト伯」が一番だと密かに思っているが、ダルタニアンファンには納得いかないかも知れない。しかし、錯綜した物語の作り方や、オチ(というと軽薄だが)という点では、歴史に根ざし、なおかつ明るく自由奔放さに満ちた「三銃士」よりも、鬱屈しながらも、そのテーマに「待て、そして希望を持て」という一言を置かないではいられなかったデュマらしさが、鬱屈しているからこそ小説の味として出ているように思える。
 ある意味、ダルタニアン物語は、絶対王政時のフランスという、非常に今となっては魅力的な時代を、例えば日本の「太閤記」や中国の「三国志」などと同じ視線で読める小説である気がする。
 しばらく前に読み返したのだが、現在人に6巻を貸していて戻ってこない。きっとこれを読んでる人物なので、続きを貸すから早く読みなさい、という一言で締めくくろう。

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