愛・地球博という名の、21世紀最初の万博が愛知で開催されている。マスコミも結構特集やニュースなどでアピールしている。せっかく始まったのだから繁盛して欲しいし、愛・地球博が訴える平和や環境問題へのテーマは、ステレオタイプだが、だからこそ重要で、実はもっとその辺りが強調されてもいいくらいだと思う。
開催3日間の入場者がおよそ15万人で、当初の予想45万人を大幅に下回ったそうだ。
どうして45万人という予測をしたのか解らないが、予測が甘かったというのと同時に、15万人でさえ、人気のパビリオンは長蛇の列で予約をしていないと何時間も待つという状況だという。これは、もし3倍の入場者であれば、3倍待つということで、別な意味の甘さがそこにあると言わねばならない。考えてみて欲しい。1日近く並んで、1つか2つのパビリオンしか見られないとしたら、何のために来たのかと入場者は思うだろう。しかし、45万人、予測通りに人が入るということは、言ってみればそういうことだ。
地球博の公式ページを見ると、これだけのイベントの割には、ホームページのできが悪い。それぞれのゾーンがどこにあるのか、せめてFLASHを使うなどして、視覚的に解るようにして欲しいし、それぞれの項目についても階層が深すぎて、何がどうなっているのか解らない。
会場マップを見て思うが、158haあるらしいので158万平方メートル、東京ドームにしたら40個分近い。相当に広い。あれだけ長時間並んだら、あまり多くは見られないし、その結果、入り口から遠いパビリオンはすごく不利な気がする。
70年の大阪万博は、時代がそういう時代だった。高度経済成長のまっただ中で、科学技術に大きな夢があり、その割に、現代と比べると娯楽は少なかった。小学生で、クラスの何人が海外旅行経験者だったろう?まだ1ドルは360円だった。
この時代において、万博だからと言って、それほどの動員を見込むのは大分甘いなと思う。月の石見たさに万博会場を訪れた昭和45年の小学生と、マンモスの骨見たさに長久手の会場を訪れる小学生の数は、やはり大きく違うに違いない。
それより私など、「長久手」という会場名の方にときめきを覚えてしまう。小牧・長久手の戦いという意味だが・・・