石原都知事のフランス語発言

 石原都知事が都庁内で行われた首都大学東京の設立を支援する組織の総会で「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする」と言ったことに対し、フランス語学校の校長などが、損害賠償と謝罪広告の掲載を求めて提訴したという件に関して、記者会見で意見を述べた。
 元々石原という人は、知事になった以降、こういう失言めいたことが多い。だがそれは、それまでの知事に比べ、明確に自分の意見を言っているからと言う印象も同時にある。青島や鈴木と言ったそれまでの都知事に比べて存在感があり、それ故に賛否はあっても、支持率が高い所以だ。
 尤も、最初に書いたような発言はそもそも不用意であることに変わりはない。実は裏を返せば、石原慎太郎がフランス語に堪能かどうかは別にして、普通の人よりも造詣が深かったということに他ならない。私もフランス語を大に外国語にしていたが、一の数え方など覚えていない。10まで言えないと思う。私自身は、大に外国語を選ぶ際に、ローダンシリーズを生で読みたいからドイツ語にしようか、レ・ミゼラブルや三銃士に対する愛着からフランス語にしようか悩んで後者を選択した。2年間学んで、良ければフランス文学専攻に進もうかとも考えたからだ。実際は、1年生の前期で挫折したわけだが。
 
「数が数えられない」「国際語として失格」という発言は、知事業にあまり熱心でなく、文筆業の方が忙しくなった最近の石原氏の、作家としての面が良く出た発言だが、1作家ならそんな発言も自由だが、都知事は多少考えた方がよい。せめて、フランス人から趣旨を尋ねる文書が来た時点で釈明すべきだ。
 現在に於いては、恐らく国際語とは英語のことで、他の言葉は結果的に国際語に失格しているわけだから、日本語もまたその例に漏れない。だが、今日石原氏が言っていたように、言葉は文化だ。日本語もフランス語もその文化として、重要なわけだが、同時に、変化や衰亡もまた言葉の持つ宿命で、毎日多くの言葉が消えていっている。
 いい悪い派別にして、いまだにフランス語が複雑な一の数え方をするままに変化を見せないのは、フランス文化がそれでこと足れりとしているわけで、そのこと自体に他の国の人間がとやかく言うことではない。但し、私などはこの長い歴史の中で、もう少し合理的な方向になぜ、進んでこなかったのかという疑問は残る。
 国際語として失格、という表現はそれだけ聞けば、ほとんどの人が「劣った言語」という感じを抱くし、ひいてはフランスを侮辱しているようにも感じる人がいても全く不思議ではない。作家たる石原慎太郎が、それくらいのことが判らないはずはない。
 言葉足らずだったと陳謝できないのが石原慎太郎の性格だし、彼に欠けている部分である。自分の言ったことに対する言い訳や、他の人が知識のないことをあげつらって、逆に「そんなことも知らないで文句を言うな」的なことを時折言う。一理あることもあるが、そうやってケンカを売るよりは、知事たるもの、一言言葉足らずを謝り、その上で真意を説明する、あるいは時には一般人の知識を修正してやる。そんなことをしてもいいと思うのだが。
 
 

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