由比敬介のブログ
悠久の銀河帝国
悠久の銀河帝国

悠久の銀河帝国

 アーサー・C・クラークの初期作品に「銀河帝国の崩壊(Against tha Fall of Night)」という小説がある。創元推理文庫で、非常に薄い厚さの本が出ていた。後にこの作品は作者自身が長編に書き換えて「都市と星(The City and The Stars)」という長編になる。
 今回、グレゴリー・ベンフォードが、その続編を書いたもの翻訳が文庫で発売になり、読んだ。そのタイトルが「悠久の銀河帝国(Beyond The Fall of Night」、つまりクラークの処女長編(長さ的には中編くらい)の続編だ。「都市と星」ではない。
 前半がクラークの作品で、第2部がベンフォードの作品だ。
 かつて、多分中学生の頃、「銀河帝国の崩壊」は読んだ。しかしそもそもこの原作が世に出たのは1946年、私が生まれる遙か昔だ。今となっては、確かに古びた部分もないではない。しかし改めて読んでみて、実はそれほど歴史が勝ったと言うことはない、素晴らしい輝きを持っている。
 そもそもクラークは小説家としてはある意味評価が低い。私はそれがなぜだか解らない。どうしてかと言えば、クラークの作品が好きだからで、とても面白いからである。
 いまだに私にとってのベストSFは「幼年期の終わり」で、これを超える作品には出会っていない。よくSFはセンス・オブ・ワンダーだと言われてきた。クラークの作品には、正確な科学知識に基づきながら、実はアシモフなどよりもセンス・オブ・ワンダーがその中に含まれている。と私は思う。
 「銀河帝国の崩壊」にはまさにそれが詰まっている。何億年も先の地球を舞台に、宇宙に飛び出していくアルヴィンの話は、小学校以来SFを読み始めた私には、センス・オブ・ワンダーの固まりだった。
 今書店で、ハヤカワの復刻が並んでいる。この中でもベストワンに「幼年期の終わり」が入っているのがうれしかったが、それ以外の作品も、SFが楽しかった頃の作品がたくさんある。
 科学の発達とともに、最も変質を強いられたのがSFだと思う。SFのSがスペキュレーションと言われた時代はまだいい。ハードな物ハードな物となっていき、サイバーとか、非常に専門的でコンピュータ的になることで、世の流れと自分の好みが必ずしも一致していないことに気づいて、読書量が減った。
 グレゴリー・ベンフォードは苦手な作家の一人だ。今回も、無理矢理半分過ぎまで読んだが挫折した。個人的にはちっとも面白くなかったからだ。
 確かにクラークが布石を敷いたテーマの延長上にあるのだが、クラークがそこに秘めていた物とは違い、何か今の時代にべったり足が着いたような印象を受ける。それは古今キャラクターが、遙か未来の生物で、それなりの今とは違う価値観や行動様式を持っているように描かれながら、逆にそれが妙に寓話的に見えてしまい、好きになれない。アメリカの作家の多くは、1語いくらという原稿料のせいかどうかは知らないが、話が長い。描写が緻密すぎて疲れる。ベンフォードはその代表格だが、それ以上にくどい表現だと感じたDUNE・シリーズがそう思えなかったから、所詮は好みとか相性の問題かも知れない。
 とにかく、しばらく間をおいて、また読んでみようと思う。・・・・でも「都市と星」を読み返すのが先かな。

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