由比敬介のブログ
タイム・トラベラー~戦場に舞い降りた少年
タイム・トラベラー~戦場に舞い降りた少年

タイム・トラベラー~戦場に舞い降りた少年

「タイム・トラベラー~戦場に舞い降りた少年」というDVDを観た。
 タイトルの通り、時間旅行を扱った作品で、まだ202年の作品だ。イギリスの作品で、イギリスの田園風景が美しい。
 筒井康隆の「時をかける少女」が、NHKで少年ドラマシリーズとして放映されたのは、40年近く前の話だが、その時のタイトルが「タイムトラベラー」でタイムトラベルという単語は、その原体験を持つ者にとって、否応なく過去の記憶も蘇らせる。
 と言って、再放送こそあったものの、ビデオが残っていないその作品は、当然ビデオもLDもDVDも発売されることなく(NHKアーカイヴスでも放送された、テレビ放送の録画による、一部が発売されたことはあったが)、その後の「時をかける少女」ほどの記憶は残っていない。
 SFというのが、日本語で空想科学小説と言われたのはいつの頃だろう。科学小説の前に「空想」と付けることで、荒唐無稽さや、子供っぽさを醸し出しているように感じる。いずれにしたところで、小説のほとんどは空想作品であるわけで、SFのみが、作家の想像から生まれるわけではない。
 筒井康隆の時間旅行は、今でこそトイレの芳香剤にすらなっているラベンダーという、少なくとも当時子供だった私には、異世界の花のような花の香りと、時間旅行の薬は結びついていた。
 そもそも少年向けに書かれた小説で、ある意味、ハードSFとは正反対に位置する作品ではあったが、ファンタジーと言うには、科学的な色合いも濃かった。
 さて、ウェルズが「タイムマシン」を書いたのは、すでに前々世紀のことだ。マーク・トゥエインの「アーサー王宮廷のヤンキー」などはさらにそれを遡る。
 機械を使うのか、薬を使うのか、機械を使えばよりSFらしさは増すが、所詮現実にはあり得ない機械なので、ブラックホールを使おうが、何をしようが、「空想」の域は出ない。
 だが、やはり魅力あるテーマなのだ。
 ウェルズは未来志向、「戦国自衛隊」など、多くが歴史のIFを求めているのに対し、「時をかける少女」は、タイムトラベルを題材に、多感な少女の心情を扱った小説だった。
 今回の「タイムトラベラー」もまた、戦場に舞い降りたなどと、あたかも歴史のIFを扱ってそうな邦題を付けているが、実のところ、そういう映画ではない。筒井が少女なら、こちらは少年の心情だ。
 タイムトラベルもので困るのは、いわゆる「親殺し」というテーマで、自分が生まれる前の過去に戻って、親を殺してしまうというお話だ。生まれるはずのない自分が親を殺しに行けないというパラドックスは、先史時代を扱う場合など、「サウンド・オブ・サンダー」のように、1匹の虫から、壊滅的に世界が変わるという風に描く。
 このパラドックスは実は、どう扱おうと、パラドックスであるが故に、小説では恐らく扱いきれない。どこかで妥協をしなくてはいけないからだ。その妥協の線がどこにあるかで、いい作品になるかどうかの、大きな分岐点の一つとなる、僕はそう思っている。
 そういう意味で、今回のイギリス版の「タイムトラベラー」は、よくできていた。自分の気持ちや立場を、ほとんど口にしない少年が、まだるっこしい部分もあるし、少年が現代へ帰るとき、あたかもそれを知っていたかのような過去の農場のおやじの様子は不可解だったが、全体としてはとてもよくできている。
 それは、この作品が、タイムトラベルでありながら、その実少年と少女の心の交流をテーマにしっかり置いているからだろうと思う。決して派手な作品ではないし、タイムトラベルそれ自体の有り様は、陳腐この上ないが、この際どこでどんな風に過去に戻るかなどはほとんど問題にならない。
 なかなかいい作品であった。
 同意に、カール・デイビスという人が音楽を担当しているようなのだが、この人が作曲しているとすると、なかなかいい曲を書く。マーラーの響きと、ヴォーン・ウイリアムスの響きが混在している。いかにもイギリスらしい曲に思える。
 サントラが是非欲しいのだが、出ているとも思えない。クラシックの作曲家というより、映画音楽の作曲家なのかも知れない。
 DVDも、開いてる部分にサウンドトラックをできるだけ納めて欲しいと、切に願うのである。
 

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