少し前に有識者会議(何とも怪しい名前だ)で、皇位継承問題について一定の方針が出された。
今後は女性でも長子であれば皇位を継げるし女性の後続は外に出ないでもいいというようなことらしい。
男系とか女系とかいうことで、皇室は男系による皇室の歴史を、ここで簡単に変えていいのかという趣旨で、女性天皇がいけないのではなく、女系を認めることがいけない、これは女性差別ではなく、歴史と文化だ、みたいなことをのたまう。
本当にそうか?男系の正当性を主張する人が、あたかも男系であれば一本筋が通るというように言っているが、それはそもそも、これまで女性天皇が出たときの、その後の天皇を男系で決めてきたことに由来するわけだが、女系になったら何が変わるのかが、私にはよく理解できない。
誰だかが染色体の話を持ち出していたが、それはきっと冗談だろう。冗談でなければ、そもそも染色体のセの字も知らなかった当時の歴史や文化とは相容れない理屈だ。
いずれにしても、男系でなければと言うのは、男を家の中心とするものの考え方が根底にあるからで、先祖のたどり方が、常に一方向だと言うことである。現在の皇太子が天皇になれば、皇后の祖先も天皇の祖先となるわけで、男系であろうが女系であろうが、常に近親相姦を繰り返さなければ、妙な伝統などは守れるわけもない。
天皇が国民の象徴であるなら、誰がなるかというのはそれほど問題ではないような気がする。
いつも書いているが、伝統や文化というのは守ろうとする人と壊そうとする人の相克で、どちらにせよ、常に変化しているのだ。昔のように、天皇を政争の道具にしたり、そもそも天皇が戦ったり、暗躍したり、歴史の中では一様ではない。神武天皇がどんな人だったか、存在したのかさえ、私はよく知らないが、そもそも戦いで勝ち取った君主の座であるに違いないし、中国の帝や西洋の国王と大差はない。運良く伝統がなぜか長く続いたというだけのことだ。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言ったのは福沢諭吉だが(但しどんな文脈でこの言葉が出てきているのか、私はよく知らない)、天皇もいつの間にか象徴という位置に置かれ、昔のように国民の上に君臨しているわけではない。
この君臨という言葉は、まさに君主が国民を睥睨している感じが良く表れた言葉だ。
おそらくは伝統を守るか、変貌させるかの二者択一論なのだ。であれば私はほとんどの場合、後者に与する。何でも変わればいいとは言わないが、こと「伝統」という言葉に裏打ちされたものは、変化こそ相応しいと思っている。
個人的には天皇制に賛成でも反対でもない、非常にニュートラルと言えば聞こえがいいが、どちらでもいい人なので、結果がどちらに転んでも文句は言わないだろうが、「有識者」が出した結論は、十分に支持に足るものだという気がしている。
多分、勉強不足の部分はたくさんあるだろうが、元々国民の総意がこのことを決めるとすれば、国民の多くは、天皇制の意味や意義、ありようなどに対しては、それほど不快知識を持ち合わせているわけではない。そしてその総意が、天皇を象徴して支えていることだけは間違いない。