大いなる聴衆

 永井するみという作家の「大いなる聴衆」という小説を読んだ。
 書店で、「2005年今年振り返って読んでもらいたい1冊」という帯を見て、裏のキャプションを読んだ。
 ピアニストの婚約者を誘拐し、「完璧な演奏をしろ」という犯人からの要求という、新鮮な犯罪に惹かれて買った。
 元々は2000年に単行本が発売になったようで、事件もその頃起こった設定になっている。
 600ページを超える長編で、しかも誘拐事件だけで引っ張っていく筆力には感心した。推理小説と言うほどではないが、読みやすいミステリだった。
 あとがきにも書いてあったが、そもそもここに登場する人物は、非常に読者の共感を排除し、「イヤなやつ」ばかりなので、そういう意味では読後感は良くない。登場人物は非常に多く、解らなくなりそうにさえなる。推理小説という意味では、ある意味読みづらい登場人物の多さだ。
 だが、小説としては、それぞれの生き様が見えて、何となく「類は友を呼ぶ」とでもいいたくなるような風にさえ思えた。それくらいひどい登場人物だ。恐らく現実を超えている。
 最近のマンションの強度犠牲事件報道の中で、今の法律は性善説に基づいているが、考え方を変えた方がいいというようなことを誰かが言っていたが、性善説か性悪説かという単純な二分論で考えるなら、人間は性善説だと思う。それは自らが幸福や快感や富裕といった良いものを求めていくからで、性悪説からはそういう人間像は浮かんでこない。
 そういう意味では、時折誇張された人非人が、気分を害させることもあったが、なるほど、日本人はこういう登場人物による小説も好むだろうな、と思える。
 
 特に主人公の紫という女性は、こんな女と一緒に仕事もしたくないし、付き合いたくもないと、最初から最後まで思わせる女性で、読んでいていらいらした。
 もう一つ、最後まで私は犯人の意図がよく分からなかった。動機は解ったが、その動機からどうしてこういう要求が出てくるのか、それがよく分からなかった。
 などと書いていると、けなしてばかりだが、それなのに読んでいて、そこそこ面白かった。これは小説家としての永井氏の力量なのだとも思う。
 この、クラシック音楽を特殊な音楽だと考えているような人たちは、きっと少なからずいるし、考え方によっては特殊ではあるとも思うが、「ジーンズやTシャツといった、クラシック音楽のコンサートにはおよそ似つかわしくない服装の人々」に到っては、「へっ!」という感じだ。私はほとんどジーパンでクラシックを聴きに行く。
 そんな感じで、非常に反発を沢山感じさせながらも、よく途中で本を読むのを止めてしまう私が、最後まで読んだし、早く読みたいという気を起こさせる小説でもあったのだ。ある意味悔しい。
 少なくとも個人的な知り合いでない限り、この作品に出てくる安積界というピアニストは、決してイヤなピアニストではないと思うし、いい演奏をしてくれるのが演奏家の使命でもあるが、そもそもクラシックの演奏家というのはそれで口に糊しているわけで、顧客主義であれば、如何に聴衆を楽しませるかが至上命題だ。
 そういう意味では、ここに登場する衛藤という安積のマネージャーの「CDが売れた演奏がいい演奏」というのは一面の真理だ。
 大いなる聴衆の意味をここで書くことは差し控えるが、いずれにしたところで、聴衆のない音楽などは、人間原理を否定する宇宙の彼方の異星人のようなもので・・・・と例え話の方が理解しがたいことを書いて悦に入っている物書きのようなものだ。
 だが、こうしてクラシック音楽に関するテーマで小説を書いてくれるというのは、考え方は違っても面白い。ロックでもジャズでも面白いと思うのだが、ミステリでということになると、方向性が見えてきそうでイヤだ。飲んだくれの探偵とか、歌舞伎町の裏通りとか色々と・・・

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