今日郵便局の不在通知が郵便受けに入っていた。配達記録というやつで、印鑑が必要だ。
実は今日は、食事以外で外出をしていない。13:00~30分程度と、19:30から1時間程度の2回だけだ。他は家にいた。家が職場だから当然といえば当然だが。
配達は13時15分になっている。昼間、朝から夕方までと考えて、10時間弱の中で家を空けたわずか30分にそれは来ていた。その結果、明日再配達を依頼することになった。
タイミングというのは何かをするときのいい頃合いとか、それを合わせるときに使う。タイミングがいいとか悪いとかいうが、今日は悪かったわけだ。人生はいいタイミングに恵まれるときと、恵まれないときがある。おしなべてどちらが多いかというのは個人差もあろうし判然とはしないが、比較的確率という言葉がイメージさせるように、半々といったところではないのだろうか。
だが不思議なもので、物事のタイミングというのは、恐らく良くも悪くもないことが一番多いので、その中で良かったときと悪かったときは記憶に残りやすい。しかも悪いときの方がより記憶に残り、自分が運が悪そうに感じてしまったりすることも多々あるのではないだろうか?
タイミング一つで、仕事に成功して金持ちになる場合もあるし、タイミング一つで命を失うこともある。
タイミングという言葉は、非常に都合のいい言葉なのかも知れない。微妙に運を左右するように思える。
ちょっと話はずれるかも知れないが、「神はサイコロを振らない」というドラマがスタートするらしい。この言葉は、不確定性原理を否定するアインシュタインの有名な言葉だが、その言葉をあざ笑うように、この世のミクロな現象は量子力学に則って、常に神はサイコロを振りまくっている。
実はこの不確定性原理こそが、この世の不均衡なあらゆることの元なのではないか?と、かつて量子論の本を読んだときに思ったのを思い出した。
あらゆることが平衡で均一であれば、世の中に貧富の差も力の差もないのかも知れないが、この不確定性原理で支配されたミクロの積み重ねが、実はこの世の現象を構成することで、あらゆる不公平や変化を生んでいるとすれば、それこそがこの世の存在証明であり、タイミングもまた、その一つの側面であると観ることができる。
であれば、タイミングがいいの悪いのは、非常にこの世を活性化する現象のように思えて、何となく面白い。いや、だからなんだということではない。やはりタイミングも運もいい方がいいのだ。