由比敬介のブログ
成人式
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成人式

 電車で晴れ着の女性を沢山見た。それで、今日が成人の日なのだということに始めて気づいた。2000年から1月の第2月曜になったわけだが、それまでなぜ1月15日だったのかを調べてみると、かつて日本の年齢計算が、数えであったことと、暦が太陰暦であったこと、そして元服という儀式が関係しているらしい。つまりは歴史的に見て、成人の日が1月15日であった意味があったのだと言うことだ。
 
 もちろん、ハッピーマンデートやらで祝日を増やす方が、成人という法的には意味があるだろうが、それ以外には私などはとんと意味を見いだせない20才の区切りということの意味を秤にかければ、現代人にとっては連休の方が重いというのは分かる。
 まして、テレビなどで毎年、正装して会場で大騒ぎをしている人たちを見ていると、大人か子供かを年齢で分けることの無意味さを、特に感じる。
 酒やたばこは二十歳だが、アダルトビデオは18だ。この違いもよく分からない。
 何に付け形式張ったことや伝統ということに、取り敢えず反発を覚える難儀な性格の私としては、成人式はもちろん出席していないし、ことさらそれによって何かが変わったという意識もなかった。周りが自分を見る目も、ことさらこれからは大人だからと言うのを感じたこともない。
 現代の二十歳は、多くが大学生であったり、既に働いていたり、何かの過渡期であることが多いと思う。むしろ高校や大学の卒業とか、そういうエポックの方が、より何かの変化を感じるような気がする。
 であれば、ほとんどの若者が高校を卒業する18歳を成人と考えてもいいような気さえする。だからといって中卒で社会に出ている人を無視しているわけではない。何に付け、例外というものはある。
 そもそもこれから大人になったのだから責任をもってという言い方はおかしなことで、それまでは何でも責任がないのかといえばそんなことはない。学校出だって、責任についてはしっかり教えているだろう。
 大人の自覚があったって、マンションの強度偽装はするし、東大出ていたって、社会保険料や税金を湯水のように無駄遣いするのが、実は大人である。
 大人だから子供より素晴らしかったり、倫理的に優れているわけではなく、それは単なる個人差である。かくいう私がそれでは、何に関しても清廉潔白でしっかりしているかというと、そんなことは決してない。少しでもそうあろうという意識があっても、それがその通りできる等というのは、誰に関しても期待しない方がいい。
 ただその中で、やはりレベルというか段階があるので、あれだけ多くが参加している成人式で、我勝ちに騒ぐという行為が、果たしてどんなことなのかと言うことくらいは理解し、行動して欲しいとは思う。
 でも、様々な犯罪を行う大人から比べれば、罪は軽いというか、そもそも比較するべきでもない。つまりは、社会生活を送る上で、していいことといけないことの、法的な部分ではない、境を理解しない人間が、実はなかなか多いというのも事実なのだ。いや、これは自戒も込めてではあるが。
 ともかく、全く個人的な意見として、成人の人か成人式が意味を持つのは、その日が祝日であるということだけなのは、どうしたものだろう。

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