韓国の何とか言う教授が人間のES細胞を発見したのがねつ造だったとかで、話題になっている。この教授がノーベル賞をもらおうがもらうまいが、そんなことはどうでもいい。これは日本人だからではなく、地球人として、どうでもいい。
そんなことより、そのES細胞とやらが早く発見されて実用化され、人間の病気が少しでも克服されていくことの方がテーマとしてはより重要で、誰がそれをやるか、どこの国の人間がやるかなどは問題ではない。
私は、長い将来を見据えて、人類が平和に貧富の差無く暮らしていくためにはいくつかの条件がクリアされれば可能だと思っている。
それは、一言で言えば、肉体的な意味で、人間が何不自由なく暮らせる世の中をまず作り上げることだ。これには医療と、食料、工業生産の三つの柱が必要だ。もちろん背景にはエネルギーの問題などがあるが、とにかく、この三つが重要だ。
人間は何のために働くのか、単純に言えばそれは生きるためだ。生きるためとは何かといえば、まずは何より食うことだ。ホームレスを見れば解ることだが、何はなくても、取り敢えず食料さえあれば、人間はどうにか生きていける。裏を返せば、それが無くては人間は生を全うすることができない。
まず、食料の生産を全てロボットによる自動化と、天候による不作などを、極限までなくす努力をすることだ。人が人の手で食料を作っている限り、ダメだ。もちろん、人が人の手で食料生産をすることそんものを否定しているわけではない。念のため。
何よりも、この世から飢饉や、食料のためにお金がかかるという状況を一掃することが大切だ。食べたいものは、いつでも手にはいるという状況を、いかにオートメーション化していくかが重要だ。
食べ物を手に入れるためにお金が必要でなくなれば、お金がかかるのは、住む場所とそれ以外の贅沢品に限られる。こちらは、食料よりも、オートメーションに乗せるのは難しくない。何しろ、人が人の手で、他人のものを作る、そのことを極力少なくしていくことが必要だ。
共産主義や社会主義は、公平な社会を作ろうとして、そもそもこの世が不公平な人間関係の上に成り立っていることを見ていなかったことで失敗した。労働者がいれば、それを使う雇用者がいるという図式は、その雇用者が資本家でなくても、身分の差を生む。作らせる部門を機械に代替させることができれば、その時点でそのスタイルは一応無くなるわけだ。
同時に、貨幣価値を可能な限り落とし、通貨を無用なものにしていくことが大事だ。
これは、何をやってもただの世界を作る言うことだ。お金が必要なのは、生活に必要なものを買うためだが、それを機械が代行して作り出せる世の中になれば、お金は必要ではない。必要なのは、エネルギーと、そのシステムを監視する役目の人だけである。
例えば、その世の中を維持していくために必要な機械やエネルギーの管理に、大量に人材が必要なのであれば、そもそも意味がない。そうでないことが前提なので、一生のうちに1年か2年は、そのために働くようにして、全世界の人間がある年齢の1~2年を、その役目に費やすようにすればいい。
後は遊んでいても、研究していても、寝ていても、芸術を作っていても、自由だ。人間は、食べるために働かなくても、何か目的を探し、それを追求する能力を持っている。金のためではなく、本質的にそのことに没頭することができる。
金を得られなくても、名声や、地位は手にはいる。もちろん地位というのはお金との相性はいいが。
唯一、そういう世の中ができても、医療だけは難しい。もちろん、遺伝子レベルで、あらゆる病気を克服することができるのであれば、後は怪我だけが問題だが、先に書いた食料や興業などの他給自足問題より、遙かに難しいと思える。
貧富の差をなくすことはどういうことかと言えば、元々不公平に生まれてくる人間を、社会が、底辺で揃えるのではなく、相当上の方で揃えることができる社会を作っていくことだ。
そのためには科学や工学など、最先端の技術や学問が、これからもどんどん発展していく必要がある。医療にとってのES細胞っていうのは、きっとそういう重要なアイテムの最右翼の一つであると思う。
100年、200年後かも知れないが、自らが見ることのできないそういう世の中が来ることを願ってやまない。