このところ、冬でもシャワーだけということが多いのだが、先ほどシャワーを浴びながら、ふと昔の記憶が甦ってきた。
子供の頃は、シャワーどころか風呂もなかった。親に連れられて銭湯に行っていた。
最初に風呂ができたのは、幼稚園の頃越した家だったと記憶している。木の浴槽で、左側に釜があり、その上に熱い湯が沸いているものだった。風呂を出たところにある洗濯機はローラーで洗濯物を絞るタイプだった。ちょうど昭和40年前後のことだ。今から40年くらい前のことだ。
今では風呂のない家というのは、都内の古いアパートに住んでいる人たちくらいではないのだろうか。もちろん探せばまだまだあると思うが、全体的な比率で言えば、非常に少ないだろう。
私が最初に家を出て一人で暮らしたのは、荻窪駅から3分のアパートだったが、風呂はあったものの、シャワーは付いていなかった。近所の雑貨屋で、水道に取り付けるタイプを買って、使っていた。これは20年くらい前のことだ。
今では、普通のアパートやマンションの賃貸であれば、普通にシャワーも風呂も付いているところがほとんどだ。当然持ち家なら尚更荘だろう。
銭湯も様変わりして、風呂にはいると言うより、ちょっと贅沢な感じがするところが多いようだ。
どんな人であれ、生まれてある程度の年数を生きることができると、その間の社会的な変化はとても大きくなってきている。私の両親などは、戦争を通り過ぎ、パソコンや携帯が日常にある時代に生きている。
今、今度NHKで放映されるというので井上靖の「氷壁」を読んでいる。この中ではナイロン製のザイルが切れたか切れなかったか、ということが問題になる。麻ではなく、ナイロン製のザイル。最近ではロープと呼ぶらしいが、今でもザイルは麻かナイロンが主流だ。それでも、「氷壁」の舞台となっている昭和30年辺りは、まだナイロンは新奇な素材だったようだ。
人類の歴史は200万年くらいなのだろうか?歴史が記されてから数千年、産業革命が起こってから200年程度、人類の進化はとてつもなく短期間のサイクルでめまぐるしく変わっている。
かつては人の一生の間の変化なんて、さほど無かったに違いない。しかし今では、井戸で汲んでいた水は、当たり前のように水道から出、常時お湯も使える。
シャワー一つでも、なんだかすごいなあ、と感心してしまった。
遅ればせながら、謹賀新年。
さて今日1/13の読売朝刊に江口さんが、写真入りで紹介されてましたよ~ん。あ、あとお支払いがだいぶあると思いますので、ご連絡ください。