由比敬介のブログ
予想外の出来事
予想外の出来事

予想外の出来事

 WBCでアメリカが負け、日本が準決勝に残った。棚ぼた、という感じだが、確かに世の中には、良きにつけ悪しきにつけ、予想外の出来事というのがある。
 事実は小説よりも奇なりとか、そんな言葉もあるが、livedoorなども株を買った人たちにとっては、まさに予想外の出来事だったに違いない。
 予想外という裏には当然のことながら「予想」がある。WBCでは、韓国が全勝し、日本は2敗していた。アメリカとメキシコを比べれば、アメリカの方がどう見ても強い。現に一次予選ではアメリカが勝っていた。
 などの情報から、日本の準決勝進出は難しいという予想ができる。その予想が裏切られたことで予想外という。
 これは言ってみれば、かなり可能性の高い確率の事象が、その通り来なかったと言うことだ。しかし確率というのはやはり蓋然性でしかなくて、必ずそうなるわけではない。「事実は小説よりも・・・」と同様、青天の霹靂とか、思わぬ事が起こることの喩えは、意外に多いようだ。
 サイコロを振って、1から6までの目が出る確率は6分の1ずつだ。でも6回降っても均等には出ない。その不確実さが実は確率なのだな、と思う。ましてや人の意志や力の絡む世の中のことは、確率や予想だけでは全てをまかなうことができない。
 アイザック・アシモフの小説に「銀河帝国の興亡(または「ファウンデーション」:Foundation)という小説がある。この中で、ハリ・セルダンという学者が、心理歴史学という学問を提唱している。個人個人では予想が付かない将来も、全体の歴史なら予測ができ、それに応じた対処もできるというような学問だ。
 昔からこれは、非常に理にかなっていると思っていた。心理歴史学とまで言わなくても、集団心理や、国家間の問題は、実は個人の問題よりも扱いやすいのではないかという気がしたからだ。
 だが、ベルリンの壁が崩壊し、ペレストロイカがあり等々、意外に集団の歴史というのも予想が立てづらいものなのだということを歴史が証明している。
 20世紀の物理の2大発見と言えば、相対性理論と、量子論だが、量子論の世界では、素粒子の場所が特定できない。この不確定な素粒子がまとまって社会を構成しているとすれば、予想外ということの根本は、実は素粒子レベルでの何かに関連しているような気がする。あるいは、だからこそ世の中はうまく機能しているのかも知れない。
 確率通りにしか事が運ばない世界では、多分進化もなかったのだろうな、と思ったり・・・

1件のコメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です