由比敬介のブログ
長渕剛と愛国心
長渕剛と愛国心

長渕剛と愛国心

 長渕剛の最初の印象は、「順子」と、「順恋歌」だ。いわゆるフォークソング。しばらくして「乾杯」。とにかく売れた。そういう印象。そして「とんぼ」とか「しゃぼんだま」いろいろ、いずれにしても、あまり聴こうと思ったことがない。なんか、国粋主義というか、右翼というか、やくざというか、清原というか、まあとにかく、自分の人生とは接点のない、このだらだらした生き方の中では、もはや入り込めない世界だと思っていた。
 男の生き様とか言われると、へなちょこな私には太刀打ちできない。
 さて、そんなとき、偶然「家族」という歌を聴いた。10分以上の大曲だ。ハーモニカとギターの前奏から、昭和の田舎の小学生の、暗い懐旧の歌が始まる。典型的な日本のフォークソングだ。両親と一人の姉、傲慢で暴力的な父親、これまた典型的な昔の日本の家庭の一つが描かれる。メロディーはいい。歌詞は好みだが、あまり好きではない。しかし、いやでも映像が、強烈なイメージで伝わってくる。胸を締め付けられるような、奇妙な懐かしさとつらさの影が、自分の過去でもないのに、なぜか重なる。
 折れも親父によく殴られたな、なんていう想いがよみがえる。埼玉県などで生まれて育つと、あまり「ふるさと」という感覚を持ちにくい。決して都会ではなかったが、それほど田舎でもない。一人暮らしをして、「実家」には帰るが、決して「帰省」ではない。
 後半、「白地に赤い日の丸」という歌詞が出てくる。「白地に赤い日の丸、この国をやっぱり愛しているのだ」というのが最後の歌詞だ。そして非常に私好みの哀愁たっぷりのギターがフェイドアウトしていく。ここだけエレキだ。
 悔しいがこの歌が大好きだ。
 
 最近、教育基本法の改変問題で国会が審議を続けている。「愛国心」ということが問題になっている。
 確かに日本という国家は、おそらく第二次世界大戦の敗北後、「愛国」ということを、「右傾化」とか、「軍国」とほとんど同義語のように感じて生きてきたような節がある。
 国を愛することが、天皇を神と奉り、戦前に回帰してしまうのをおそれるような、そんな感覚すら覚えた。いや、そうではない。これはまさに「愛国」という言葉にそれがあるので、国を愛するという表現では、あまりそれを感じない。
 ある意味、暴走族が何でもかんでも漢字にして、「世露死苦(こんな書き方をするのかどうか知らないが)」しまうような、音感が、「愛国」にはあったのかも知れない。
 また、自民党の議員が「愛国心」などというと、共産党が「愛国心」というのとは、全然違うことを行っているようにも聞こえたりする。
 小中学校の卒業式で日の丸掲揚を義務化すると行ったことに関して、必ずそれに反対する人たちがいる。彼らはやはり、前述した回帰への不安を、そこに感じているのだろう。
 愛国心というのは、民族主義という言葉と一部似ている。しかし同時に、長渕剛が歌う「家族」のように、ふるさとを愛する心というのが、最も正しい意味の一つなのだろうと思う。
 言葉には反意語というのがある。そうでなくても、否定とか、例えば、好きな人がいれば嫌いな人がいるように、愛国心に対しては、嫌国心があるかといえば、そんな言葉は辞書にも載っていない。
 本質的に、国を愛するというベクトルは、その時点ではその他の意味を持たない。しかし利害関係の異なる愛国心と、別の国の愛国心は、そこで争いを生じることがある。つまり戦争だ。
 この、国を愛することから生まれる争いごとを、おそらくはこの50年間、目に見える部分と見えない部分で、我々は教わってきたような気がする。それが愛国という言葉を、一見恐ろしい言葉に見えさせる。
 ところが愛国心を標榜する側は、そんなことはお構いなしに、「なぜ国を愛することがいけないのか」という、いわば正論を振りかざす。その慮りのなさが、愛国心から派生する見えない影におびえる人々の心を逆なでする。
 暴力を手放しで肯定する人はおよそいないと思うが、殺人事件は毎日のようにあるし、暴力沙汰はさらに多い。綺麗な言葉も、高邁な理想も、暴力や戦争に変えてきたのがいわば人類の歴史だし、テロも、イラク戦争も、実際はその延長にある。
 殺人は普通にすれば犯罪だが、戦争なら英雄という言葉があるが、多くのSFなどを読むとき、遙か未来にも軍隊が必ず登場する。「地球を守るため」に戦うウルトラ警備隊だって、いわば軍隊だ。あたかも宇宙人や怪獣が外敵として責めてくるのを守る自衛隊だと言わんばかりだが、現実にはどちらにも大義名分があるのだ。
 愛国心は、郷土愛の延長だし、それは家族愛につながり、最終的には自愛なのだ。逆におしなべて見れば、愛国を言うとき、愛世界、愛宇宙と、より広い立場の愛をこそ説きながら、愛国を知らしめるべきだろう。日の丸を立てることで達成される愛国は、とても狭量な愛国に感じられる。
 歌としてはすごく好きだが、やはり私にとっては日の丸など、郵便番号と同じ記号でしかない。記号は記号で必要だが、国を愛することよりも、人をこそ愛する人間にやはりなりたいものだと感じる。
 

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