冷麺と言えば、韓国冷麺とか盛岡冷麺だが、私はあまり詳しくない。
 ただ最近、時々冷麺が食べたくなる。
 冷麺は焼き肉屋に行けば食べられるが、なかなか身近に、「冷麺屋」というのは見かけない。ラーメン屋でも冷やし中華はあっても、冷麺はなかなかない。
 また、冷麺だけ食べるために焼き肉屋にはいるというのも、なかなかしにくい。こうして、自ずと冷麺は、焼き肉のお供か、ランチで焼き肉屋、韓国料理店ということになる。お手軽そうで、そうでもない。
 盛岡冷麺と言うくらいだから、盛岡には冷麺を食べさせる店は多いと思うし、「盛岡の麺はわんこそばだろう」というつっこみは別にして、実際に多くの店があったように記憶している。
 それでも確かに、冬に冷やし中華がないように、単発のメニューとしての冷麺は、どうしても夏に偏りがちに売れそうだということは、想像が付く。
 たぶん今こんな記事を書いているのも、夏になり、暑い日が続いていたから、ふとそう思ったに違いないのだ。焼き肉を食べた後の冷麺というのなら冬でもいいが、ただ単に冷麺となると、それほど冬は思い浮かばないと言うことだ。
 近所に焼き肉屋が3軒、韓国料理が1軒あるが(探せばもっとあるのかも知れないが)、ランチで冷麺が食べられるのは韓国料理の1軒だけだ。
 わざわざ遠くまで食べに行きたくないという、自分のめんどくさがりがいけないのだ。
 先日、新宿高島屋の近くにある韓国料理で、牛しゃぶ何とか言う冷麺を食べた。美味しそうな名前だし、ちょっとランチには高かったのだが、注文した。キムチとナムル(もやしだけだが)、芥子とコチュジャン、お酢が別添えで付いた。
 不味くはないが、昼から1,300円払ってもう一度食べたいと思わせるものでもなかった。ただ店は綺麗で高級感があったので、店相応の価格ではあるだろう。繰り返すが、不味いわけではない。
 ラーメンとかそばとかパスタとか、麺類も色々あるが、麺というのも奥深いのだな、とこういうときに思い知らされるのだ。とてもうまいものが食べられて当たり前の時代、「たいしたことなかった」と思ったときにこそ、料理は奥深いと感じる。
 確かに世の中、不味いものを食べさせる店もある。味覚は個人差があるので、それでも美味しいと感じる人や、いわゆる味音痴な人はいるだろうから、それでもお店を開いているというのは、お客が来るということで、そういうものなんだろうな、というくらいな感慨がある。
 美味しい店は普通だが、普通と感じる店は、普通よりちょっと落ちるというのが今の感覚だ。
 先日渋谷のパスタ屋でパスタを食べたときも「普通」という感想だった。
 くれぐれも言うが、冷麺もパスタも、「普通」なのだ。・・・ただ、どちらもランチとしては少し高い。ホテルでゴージャスなランチを食べる一部の主婦の方たちから見れば安いかも知れないが、サラリーマン上がりの私には、ランチは高くても1,000円以内という小市民的な感覚がある。
 こういう奇妙な感覚は、女より男に多いような気がする。どうでもいい話だが。
 いずれにしても、「普通」の冷麺を食べたおかげで、「うまい」冷麺が食べたくなったというのがこの記事を書くきっかけなので、まあ、どこかでまた美味しい冷麺に巡り会えれば、その時記事を書こう。但し、あえて冷麺を探して食べ歩いたりしないから、いつのことやら・・・・

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