由比敬介のブログ
子作り
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子作り

 先日大学時代の先輩と久しぶりに飲んだ。20年以上ぶりだろう(変な表現だが)。懐かしく、昔の話や現在までの話などをし、あっという間に3時間以上が過ぎた。
 その折りに、その先輩は、かつて、子供は作らないつもりでいたのだという。ある時、上司だかとにかく目上の人から、そのことについて聞かれ、そのまま答えたところ、「それはいかんよ」という話になり、最後は怒られたといっていた。その方は素直な方で、そこで思い直し、今では高校生になる子供がいるらしい。
 私はここで二つのことを思った。一つは、先日向井亜紀と高田延彦夫妻の代理出産の子供を、高裁が実施として受理するように品川区に言ったことと、法務省がそれに対して抗告するという、相変わらずの人でなし行政を行おうとしているというニュースのことだ。
 私は結婚していないし、当然子供もいない。子供を欲しいと思ったことがないし、正直なところどちらでもいい。いれば可愛いだろうが、いないからといって寂しいわけでもない。だが、代理出産をしても子供が欲しい人たちがいる。自分で生めない人たちがいるのだ。
 世の中には生みの親より育ての親何ていう言葉があるくらいなので、実施にこだわる必要を実は私個人はあまり重要視していない。もちろん、それは自分の子供がいない人間の頭の中だけの話だし、そもそも子供というのは親との関係が重要だという側面もあるに違いない。生める可能性のある人間が生まないというのは、生めない人間がいるのに失礼だ、という意見も、当然存在するだろう。
 だが子供も一個の人格であるわけで、生まれたら皆幸せな一生を送るとは限らないので、何でも子供を作るのがいいということではないだろう。まあ、こんな考え方が少子高齢化を生むのだと言われれば、そうかも知れないなどと単純に思ってしまうが、アメリカの国土の何十分の一という狭い日本に1億数千万人という人間が住んでいる方が、多すぎるのではないかな?などとも思ってしまう。
 世界の人口だって、65億だ。どんどん増えている。二酸化炭素の上昇は、文明の力にもよるだろうが、人口増加もその一翼を担っているわけで、地球がそれによって滅びの道をたどるなら、それもまた大きな自然の流れかも知れない。何てことも考えたりする。
 いずれにせよ、近視眼的に現実だけを見れば、法務省が行おうとしていることは、人様の幸せを、国家権力で握りつぶそうという、何でも法、法という、ジャベール警視のようなものだ。こんなことは、きちんと法整備をして認めるべき事だ。海外のように政治がこういう事の場合、宗教的な側面で簡単にYesといえない国でもあるまい。少なくとも日本国憲法には国民の幸せを守るということが国の役目だと書いてあるだろう。法務省や厚生労働省、外務省などは特にこういう事のかたくなさが目立つように思う。
どうにかしろよ政治家!といいたいところだが、政府がやっていることだ。お話にならない。
 さて、それとは別に、前述のような状況というのは多く、日常的な生活の中でよく起こる。
 子供を作るか作らないかというようなことは、人類が進化して自分で考えられるようになって以来、必ずしも種の保存則だけのために子孫を残すわけではない。また、墓守を頼むためでもない。幾ばくかは、自分たちの両親の「孫の顔が見たい」という欲求を満たすためではあるかも知れないが。
 少なくとも他人からやいのやいの言われるべきことではない。「作った方がいいぞ」というのは、一つのアドバイスとして、それはそれで良いと思うが、何だか人間の義務のように言われるとおかしいと思う。
 
 こういう事は、子供を作るかどうかと言うことばかりではない。結婚でもそうだ。私は未婚だが、好きこのんで見込んであるわけではないが、だからといって結婚願望などという、漠然としたものを持ったことがない。相手がいて初めて、この人と結婚したいと考えるのであって、私の場合は、結婚は先にはない。
 だが周りは必ずしもそうは見ないものだ。私の両親は、諦めもあるのか、物わかりがよく、その点で何かを言われたことはほとんど無い。感謝している。その反面、前述したようなことで、親不孝だなと感じる面はある。
 ただそれも自分の人生なので、自分で決めるしかないし、それが一番正しいと信じている。何もかも生きたいように、やりたいようにやるなど、これだけ社会的な動物である人間に許されるはずはない。社会の中で、すべきこと、あるべき姿というのは自ずとあるはずだ。
 だがそれとは別に、自分で決まるべき事、多の容喙をシャットアウトしても良いこともたくさんある。
 少なくとも子作りや結婚なんて、その最たるものではないかと思うのだ。
 先日書いた、髪の色やアクセサリーなんていうのも同じ部類だ。個人的には、電車の中で化粧をするなんていうのも実はそっちに入っている。そういう女性を嫌だというのは自由だし、はしたないとかいうのも自由だ。だがそれほどいけないことか?少なくとも、酒飲んで車運転しているような人間が、そんなことを言っていないことを祈るということだな。
 
 
 
 

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