このところ熊がよく出現する。あ、街中に。被害にあった人も結構いるので、その地方の人は大変だと思う。テレビで見てみると、意外と小さかったりするが、普通の人は大山倍達とは違うので、素手で立ち向かっていくことなど到底かなわない。
冬になって冬眠しても春先にまた現れる可能性があるという。今回ばかりは人的なものよりも自然災害の影響によるえさ不足らしい。えさのない熊もかわいそうだが、家の中にまで入ってこられる地元の方も苦労だろう。
ところで、熊というのは一般的にどう発音するのだろう?私はどちらにもアクセントを置かずに「くま」と発音していたが、頭にアクセントを置いて「くま」という人も結構いる。後ろにアクセントを置くことは物理的に難しいので、どちらかと言うことになる。
いわゆる標準語というのは、アクセントが平板で、抑揚がないように思う。
東京の言葉が標準語では必ずしもないので、誰かが作ったのだろうか?
調べてみると、いろんなことが書いてある。
インターネットでは「ウィキペディア」というサイトで、日本には標準語はないと言い切っている。
そうかと思うと、広辞苑では「おおむね東京の中流階級の使う東京方言に基づくものとされている」という、実にあやしい表現が出てくる。東京の上流階級は、今でもざーます言葉を使うのか?あるいは下町辺りの「べらんめえ」だったり、ハ行がサ行に変わってしまうような人たちは、中流階級といえないということか?
いや、冗談はさておき、いずれにしてもヨーロッパなどの国々に比べて、日本はいい加減だということらしい。ただ、このいい加減さというのはむしろいいことのような気がする。話し言葉の基準まで国に決められるというのはいかがなものか?
例えば、ある国に英語と、古くからの土着の言葉が2,3あったとする。土地が繋がっているから、日本に比べると、土着であっても相当違う言葉である可能性がある。その国が、英語とその土着後の一つを国語と決め、それを国の標準語とすると決めるのであれば、便利さ故の処置ということではあり得べく最善の方法かも知れない。
よく標準語という言葉を我々も使うが、非常に漠としていて、辞書ではないが、「アナウンサーが使う言葉」というのが実は最も近いかも知れない。ただそうなると、マスコミ自体はその標準語の元をどうやって決めているのだろう?
三球照代の漫才ではないが、あまり考えても眠れなくなりそうなので、いつか調べてみよう。
しかしそうすると、「くま」は「くま」ではなく、「くま」が標準語ということになろう。