由比敬介のブログ
モンテクリスト
モンテクリスト

モンテクリスト

 モンテ・クリスト-巌窟王-という映画を観た。DVDをレンタルした。2002年のアメリカ映画で、劇場では観ていない。
 アレクサンドル・デュマの作品といえば「三銃士」がその筆頭だと思うが、以前にも書いたと記憶しているが、私は「モンテクリスト伯」の方が好きだ。「三銃士」「二十年後」「ブラジュロンヌ子爵」という大河小説は、確かに面白いし、特に「三銃士」はその中でもすばらしいと思う。しかし、個人的な好みとしては「モンテクリスト伯」の復讐譚の方が、どこが、というのではないが面白いのだ。
 黒岩涙香が「巌窟王」という印象深い翻訳のタイトルを与えたこの作品は、歴史上最も優れたエンターテインメントの一つだと信じて疑わない。この作品と、前記の「三銃士」そしてビクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」このフランス文学の3作が、私にSF以外の書物を読むきっかけを与えてくれた重要な作品でもあるのだ。
 監獄を出た主人公の数奇な人生という意味では、「レ・ミゼラブル」も「モンテクリスト伯」も、ある意味似ている。十数年前だったと思うが、フジテレビの昼メロで「愛・無情」というのをやっていた。榎木孝明と原日出子が出演していたが、「レ・ミゼラブル」を元にしているので「愛・無情」というタイトルだったのだが、そもそもジャン・ヴァルジャンに当たる榎木孝明に、原日出子という恋人が居る時点で、原作は「モンテクリスト伯」ではないのか?と疑ったものだが、そもそも昼メロなので、ほとんど観ていない。最初の何回かを飛ばしながらビデオに撮った記憶がある。現在であれば、ハードディスク搭載のデッキがあれば、全て録が可能だったのだが、その当時はビデオしかなかった。今でも観てみたいが、DVDでは見かけないし、再放送もあるとは思えない。残念だ。
 さて、「モンテクリスト伯」にしても、「レ・ミゼラブル」にしても、だいたい見れば後悔するのだ。ジャン・ギャバンがジャン・ヴァルジャンをやったのは、そこそこ面白かったように記憶しているが、ラストシーン近くの楽しみにしているシーンがいまいちだったような記憶もある。
「レ・ミゼラブル」をドパルデューがやったのを観たときには開いた口がふさがらなかったが、同じドパルデューは「モンテクリスト伯」も作っている(というか出ている)。
 これもまた、ラストシーンで唖然としてしまった。ダンテスとメルセデスが手に手を取り合って、新しい人生を歩んでいくなんていうのは、ジャベールがセーヌ川に身を投げて死んだあとに、晴れ晴れとした顔で去っていくジャン・ヴァルジャンと同じく、この2作品を台無しにする行為だ。
 そして今度もまたやってくれた。
「モンテ・クリスト-巌窟王-」という作品は、エスプリのエの字も感じられない。アメリカ映画、しかも娯楽作品としてみれば、あるいはそこそこのレベルにあるとは思うが、実際そのそこそこを形成しているのは原作が持っているエンターテインメントなのだ。
 脚本家が楽しそうに語っているおまけが付いていたが、「そうか、こいつに書かせたのがいけなかったんだな」ということはそこでよく分かった。
 原作にはアクションがないからアクションをふんだんに加えたとか、アルベールをダンテスの子供に仕立てたのは、どうしてデュマは思いつかなかったのだろうと、得意げに語っていた。
 原作と違うことをいう人に対しては、原作がいいなら原作を読めという、こういう作品を作る映画監督や制作者がよく言う常套句を使っていたが、それより、そういう作品が作りたかったら、オリジナル作品を作れ!といってやりたい。
 著名な原作を映像化する場合、観客が望むのは、その作品が持つクオリティだし、中身なのだ。それを身勝手な論理で作り替えるのは、オリジナルで勝負できないクリエイターの言い訳に過ぎない。
 今回の作品でもデュマの作ったすばらしい作品に乗っかった、安易なエンターテインメントの歪曲でしかない。アクションがないと観客が喜ばないと思っているのなら、別のアクション作品を作ればいいではないか。
 これらの作品は、原作の持つ素晴らしさを維持したまま映像化することが不可能なのか、制作者がいつもぼんくらなのかどっちかだ。一度でいいから、忠実な作品を作ってもらいたい。原作が面白ければ、それを元にした映画やドラマを見るのは読者としての楽しみの一つではある。
 解釈というレベルならまだいいが、歪曲はやめて欲しいものだ。
 それでもダンテスはこういうかも知れない。
「待て、そして希望を持て」

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