由比敬介のブログ
君が代伴奏拒否:教諭の敗訴が確定 という記事に関するお話
君が代伴奏拒否:教諭の敗訴が確定 という記事に関するお話

君が代伴奏拒否:教諭の敗訴が確定 という記事に関するお話

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070228k0000m040012000c.html
http://www.sankei.co.jp/shakai/jiken/070227/jkn070227018.htm
http://www.asahi.com/national/update/0227/TKY200702270392.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070227it12.htm
 各新聞社の記事だ。
 この最高裁の記事は妥当だと思う。逆に、君が代や日の丸に何を期待し、何を嫌悪するかという事が実は結構曖昧だ。
 教師というのは、そういうことに非常に敏感な人が昔から多いように思う。
 日の丸や君が代が国粋や軍国と直接的に結びつくわけでもない。
 尤も、今回の判決の妥当性は、「ピアノ伴奏を命じたこと」が「特定の思想を持つことを強制したり、特定の思想の有無を告白することを強要したりするものではなく、児童に一方的な思想を教え込むことを強制することにもならない」という点にある。平たく言えば、「言いがかりでしょ、それは」ということになる。
 但し、些細な言いがかりが何かに変貌しないとは断言できない。
 教育委員会という、頭の固そうな方たちが集まっているようなイメージの団体は、様々なニュースを見るに付け、やはりイメージ道理なのだなと思うこともしばしばある。
 上記のニュースに関連するが、卒業式の国歌斉唱をしないとか、国旗に礼をしないとかで「減俸」などの処分をしている辺りがまさにそれだ。
 
 国や地方の行政が教師に、「君が代を歌って日の丸に礼をしろ」というのも、教師が敢えてそれをしないのも、ある意味どちらも生徒にとっては「思想の押しつけ」であることは間違いない。
「君が代」の歌詞が何を歌っていようと、実は子供の多くはその意味が分かっていないし無関心だ。
 私などは、「君が代」ばかりでなく「贈る言葉」なども、卒業式で歌え等と言われたら、非常に拒否反応がある。・・・・そもそも卒業式自体に拒否反応があった。
 人間というのは、何かにかこつけて、よっぽど儀式をするのが好きな生き物なのだな、と思うわけだ。
「蛍の光」「仰げば尊し」など、卒業式で歌われる歌というのは、色々あるが、そもそも私は、集団の中で歌う歌というのが嫌いだ。結婚式の時に教会で、あたかも誰でも知っていて当たり前かのように賛美歌の歌詞を渡されたりすると、祝う気持ちとは裏腹に、憂鬱になる。
 何でみんなで同じ事をしなくてはいけないのだろう?まだ結婚式は理解できる。
 だが、卒業式や入学式等、百歩譲って、式は我慢しよう。そのまま静かにさせて置いてくれというのが私の気持ちだ。
 う~ん、何というか、卒業式の国家・国旗問題は、教師や行政が考えるほど、子供たちは思い入れがないのではないだろうか。戦前の日本や、北朝鮮などの国のように、国家を上げて思想統制をしようとしない限り、今の子供たちは聞く耳を持たない。
 国家の枠組みなど捨て去って、まずは地球人として考えるという視点を持つには、きっと宇宙人が攻めてこないと難しいのだろうな。いつまで経っても、争いと進歩はセットのような気がして滅入ってしまう。

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