由比敬介のブログ
アインシュタイン・セオリー
アインシュタイン・セオリー

アインシュタイン・セオリー

 マーク・アルパートという人の「アインシュタイン・セオリー(Final Theory)」という作品を読んだ。
 早川から出ていて、アインシュタインが封印した統一場理論への鍵というキャッチなのに、SF文庫ではない理由は読んでみて解った。逆に言えば、SFとはなんぞやの逆テーゼみたいな作品でもある。つまり、SFがサイエンス・フィクションであるなら、この作品はとてもSFだし、ある意味ヒューゴー・ガーンズバックならこれぞSFというのではないかという、空想小説である。
 全体を通して印象的なのは、全編これ、ハリウッド映画の脚本ではないか、と言うような場面展開で、いずれ映画化されるのではと思わせた。ストーリーは非常に面白く、意外な展開も随所にあってとても楽しめた。
 もともとサイエンス・ライターが書いているので、理論的な構築も割としっかりしている。どこまでがほんとで、どこまでが想像なのかというのが、わかりにくいというのは、いい作品なのだ。
 アインシュタインの弟子の一人だったクラインマンという老齢の科学者が、サイモンという得体の知れない男に拷問されるところから話は始まるのだが、このサイモンという男は、なぜか頭の中で、浦沢直樹の書く登場人物のようなイメージが、最後まで払拭できなかった。暗く悲惨な過去は、とても同情的なのに、最後まで同情の余地を見せないクールな男で、いい味を出していた。
 
 アインシュタインが生涯かけて追い続けた統一場理論。それが完成されていた、という着想から、この小説はできあがっているが、実際のところ、超ひも理論さえ越えて、小説のタイトルでもある「最終理論」のような形に結実していることになっている。この辺りのいくつものハードルを、アインシュタインが簡単に越えすぎているのは気になるが、要は、そのセオリーが、新たな武器を生むということが問題なのだ。
 アインシュタインがE=mc2(自乗)を導き出した結果が、原爆や水爆に結びついたからと言って、アインシュタインを責める人はそれほどいるとは思えないし、アインシュタイン自身がそのことを後悔していたからと言って、その事実はアインシュタインが作り上げたわけではなく、この世の厳然たる成り立ちがそういうもので、だからこそ、太陽は核融合して人間が存在すると考えれば、E=mc2は、ある意味この世の成り立ちを説明したに過ぎない。
 この本で言うところの「最終理論」が、新たな武器を生むから封印する。単なる新たなではなく、最終兵器とも言える恐ろしい武器に転用可能だから封印する、というのはいかにも小説の主題となりそうなテーマだが、実はこの作品、その辺りの解決策だけがちょっと陳腐だ。
 
 ハリウッド映画のようだと書いたが、時折あるハリウッド映画の陳腐さに似ている。例えば、今日放映されていた「アルマゲドン」、同じテーマの「ディープ・インパクト」これらの作品は、「インディペンデンス・デイ」もそうだったが、とってもアメリカンで、ブッシュ大統領だ。
 アメリカンドリームが世界を救うドラマだが、一種それに似たものをここでは感じた。
 それでも、今上げた3作の映画も含めて、今回の「アインシュタイン・セオリー」も、とても楽しいお話だ。
 割を食って死んでいく人の数はとても多く、最後まで読んでみると、結構無駄死にが多いので、かわいそうだが、たぶん彼らは、時代劇の名も無き侍のように、「お疲れ様でした」と立ち上がるのだ。
 いずれにしても、読んでいて楽しかった。場面展開が早く、複数の場面が平行して描かれ、手に汗握る。こういう作品を書いてみたいと思わせる。ただ、もう一回読みたいかというと、そうではない。「幼年期の終わり」など、第2部の冒頭で、第1部から改めて読み直そうかと思ったほどだ。そういう奥深さは残念ながら無い。それは、この作品が、謎解きと、テンポの良さ、アクションシーンの卓抜した描写力などで構築されているからだ。
 そういう意味で、テーマは大きいが、内容的な世界観は大きくない。
 また、思うのだが、こういう作品に出てくる軍隊やFBIはどうしてこんなに間抜けに描かれるのだろう?「ダイハード」で、ヘリコプターに乗ってベトナム戦争の話をするFBIと同レベルだ。あのときは、主人公の刑事の能力を際だたせるためだったが、今回はそういう人物が出てこない。
 主人公は確かに何度死んでもおかしくないような危難を乗り越えていくが、あまり実力で、という感じはない。いや、実力には違いないのだが、そもそも物理学を勉強していた作家だし、言ってみれば火事場のくそ力に近いのだ。
 でもこの人の2作目が出たらきっと読むだろうな。たぶん面白いから。過去の作家で言えば、D.Rクーンツを読んだときとちょっと似ている。向こうのエンターテインメントの典型と言える小説だ。
 この作品にアインシュタイン・セオリーという邦題を付けた訳者にも素晴らしいと言いたい。これが「最終理論」でも読んだかも知れないが、アインシュタインという名前があったために、迷わず手に取った。
 ただ、「ヘル・ドクトル(Herr Doktor)」という表現は、ドイツ語の敬称だとしても、なにやらテーマがテーマなので「HELL DOCTOR」に見えてならなかった。「先生」とか「博士」でも良かったのじゃないかと思ったが、原文を知らないし、そもそもドイツ語の知識もない。同様に、「アインハイトリッヒェ・フェルトテオリー」は「統一場理論」という日本語ではいけなかったのかな?と思った。もう少し短くて解りやすい単語ならいいが、このカタカナが出てくると、時々止まった。
 ただ、ただ、どうしても結末はあまり納得いかないのだよ・・・どうしてアメリカはあんなに簡単に手を引く?FBI何人死んでるんだ?殺されちゃった新聞記者はどうなる・・・・
 しょせん、自分たちだけ助かったから良かったのかな・・・・てな気持ちに、読者をさせちゃいかんだろう。・・・でも面白かった。これだけは確実。
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です