モンテクリスト伯

 久しぶりにデュマの「モンテクリスト伯」を読み直した。岩波文庫で全7巻、2,500ページを超える大作だ。
 先日、アニメの「巌窟王」を見て、大きな不満を覚え、それを払拭する為もあって、しばらくして読み始めた。改めて、こういう傑作を、内容をねじ曲げてアニメ化することの暴挙を思った。
 このアニメしか見ないで(たぶんこのアニメはよくできているので)「モンテクリスト伯」を知ったと思ってしまうのは大いなる損失である。
 さて、この際作を精緻に、完成させたデュマという人の文筆力と博識、構成力には舌を巻く思いがする。実際のところ、この小説にはミステリアスなところはあまりなく、かなり透明に、全体が見渡せる。
 エドモン・ダンテスが一人の恋敵、一人の仕事上の仇敵、そして一人の栄達を望む役人の手によって奸計にはまり、死刑にも等しい待遇を受けてイフ城の牢獄に繋がれてから、14年の歳月の中で、ファリア神父と出会い、この時点で、彼には将来の復讐のための道具として巨万の富が約束されたことが、読者には解る。そして、船乗りシンドバッド、ブゾーニ神父、ウィルモア卿、モンテクリスト伯爵、これらの人物がすべて、ダンテスの変名・変装であることも、読者はほとんど疑うことなく、推定できる。それでも尚、それぞれの復讐相手の前でその仮面を脱ぐシーンは、すべて感動を呼ぶし、そこへ向かうための様々な複線が、モンテクリストの打った手として実現されていく様は非常に心地いい。
 復讐譚として、基本的に復讐する側とされる側のすべてが解り、尚かつその進行があからさまに見えるのにもかかわらず(言ってみれば謎がほとんど無い)、「待て、しかして希望せよ(個人的には講談社文庫の「待て、そして希望を持て」の方が好きだが)」という一貫したテーマが存在し、厳かに終わる。
 とても巨大でよくできた交響曲を聴き終わった後のような、気持ちいい疲れと、静かな感動が得られるのだ。
 この作品は全編エンターテインメントで、ある意味、寓意的な部分はほとんど無いといってもいい。すべて書かれたことはあからさまで、表面に出ている。同時代に近く、リメイクするとどちらがどちらか解らなくなるような「レ・ミゼラブル」のように、エンターテインメントの中にキリスト教的な救いや愛を潜ませることもない。
 デュマが「神よ!」と言わせれば、それはとりもなおさず作中人物のみが祈っているのであって、読者にそれを押しつけることもない。
 最後にマクシミリヤンがヴァランティーヌと結ばれるシーンなどは、ヴァランティーヌの葬式が行われる前から、そういうシーンがあることが予測される。
 唯一、ダンテスとメルセデスの関係が最後にどうなるのか、これはそのシーンが語られるまで判然とはしない。だが、デュマはそこでも最善の描き方をし、読者の涙を誘う。言ってみれば、14年間の辛苦をなめたダンテス以上に、大きな傷を負うことになったメルセデスという女性の最後のつぶやきが「エドモン、エドモン・・・」というのは、予定調和を言われようと何であろうと、最高のシーンなのだ。
 この作品を読んで、どうしてこんな終わり方をさせることができるのだろうというという映画やアニメの存在が、とても信じられない。
 ただ思うのは、金の価値がとても解りづらいということだ。貨幣の種類だけでもフラン、ルイ、スーなどある上に、1万フランがどの程度の価値なのかが解らない。5万フランで邸宅が買えるという記述があるので、1万フラン=1千万円くらいかな?とも想像するのだが、だとすると、モンテクリストがダングラール銀行から最後に引き出した金、600万フランは、60億円、最後にモンテクリストが資産を1億と言っているので、1兆円ということかな?と思ったりする。
 確かに個人が1兆円持っていれば、金でできることのほとんどはできるだろうと思える。毎日1億円使っても、30年くらいかかる計算だから、取り敢えず金でできないことは何もないだろうと思える。
 こういう金に物を言わせて復讐を遂げるというお話は、あまり東洋的ではないように思う。
 
 この作品はデュマ自身がほとんど自分で書いているらしいので、「三銃士」などともちょっと趣が違う。次にいつ読むかは解らないが、必ずまた読みたくなるに違いない。この思いこそが、その作品を真に優れたものであると評価するかの、大きな基準なのだ。
 ああ、面白かった!!

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