由比敬介のブログ
戦争を知らない子供たち
戦争を知らない子供たち

戦争を知らない子供たち

「戦争を知らない子供たち」という歌がある。ジローズだったか。杉田二郎がよく歌っているからきっとそうだと思うが。
 戦争が終わった後で生まれた子供たちが平和を大切にというような内容だった。
 現代は、そんな戦争を知らない子供たちの子供たちが既に社会に出ている時代だ。
 よく、戦争体験を語り継ぐことの大切さというようなことが言われる。現実に体験した人が、戦争がいかに悲惨かということを後世に伝えることで戦争を二度と起こさないためだ。
 私はこういう話を聞くと悲しくなる。人間は、たとえ理由がどこにあろうと、殺し合いを、直接体験や体験談を通じてでしか悪いこととして認識できないのだろうか。戦争の話など聞かなくても、戦争がいいわけはないと思うが。とても単純な問題だ。
 機動戦士ガンダムとか、いわば未来の宇宙戦争を扱ったアニメがある。これはあたかもアメリカの戦争物と似て、戦うことを美化しているように思う。ただこれはアニメだし、制作者の意図はそんなところにはないと思うし、ファンは「もっとよく見ろよ」と立腹するかも知れない。
 しかし、戦国時代の戦記が人殺しをしても現実感がないのと同様、アニメやスクリーンの中の戦争は、概ね現実感がない。描かれるのは主要な人物の周りだけであり、あまり無駄な死というのは少ない。
 戦争の悲劇とは、実際に戦争を決めた人物以外が死んでいくことだと思う。ブッシュは戦争を命じることで多くのアメリカ国民を含むたくさんの命を奪っていることを、全く自覚していない。
 人は生まれてきたからには、死に向かって生きているのだ。いつ来るか判らないが、いずれは来る死に向かって生きている。だからこそ生きている間の人生の瞬間瞬間は大切なのであり、怠惰に生きようが夜の目も寝ずに努力しても、その人なりの充足感や生き様が許せばいい人生であると思うが、いずれにしても終点は死なのだ。
 人にとって、誕生は自分の意志ではどうにもならない。だが死は、病気や怪我といった不測の事態はあるとしても、死に向かって飛び込むことを命じられるかどうかというのは、完全に個人の裁量に任されるべきだ。
 空から落ちてきた爆弾は、隕石の落下とは違う。
 戦争など知らなくても戦争の恐ろしさや無意味さは解る。
 小泉の靖国参拝の問題で、世論の70%前後が賛成しているという。これは、中国がとにかくそのことに反発して、「参拝するな」と国を挙げていうからで、単純なそれに対する反発の数字だ。別に首相の参拝を指示しての高い数字ではない。そもそも日本人の多くはそのことに関心すら持っていない。
 過去の戦争を云々するのは、国家としての被害者への賠償といった問題はともかく、一般市民レベルでは、ほとんどの日本人に責任はない。なぜなら、今ではほとんどの日本人が戦争を知らない子供たちなのだから。親の責任を子が背負うのは、遺産相続で次いだ借金くらいでいい。
 と言って、あれだけ反発している他国の状況を見て、いつまでも参拝し「二度と戦争を起こさないため」などと嘯く人物が自分の国のトップに立っているかと思うと、寒々しい感じがする。
 これが戦争の原因にはならないとはいえ、こういう事の積み重ねが過去の戦争を引き起こしたことだってあるのではないのか?
 人間は些細なことで争い、感情的に殺人さえ犯す。自分の行動を戒め、他との関係を良好な物とする努力を、嫌でも強いられるのが社会というものだ。
 富、権力、優越感、様々な不公平感をなくそうとして共産主義や社会主義のイデオロギーは生まれた。しかし、これらのイデオロギーや社会体制も、そもそも人間が持つエゴイズムを統制できないことはソビエトや東欧の各国、あるいは北朝鮮や中国を見れば解ることだ。
 自由社会で、いかに他を思いやれるか、世界の平和を勝ち取るためには、恐らくそれしか手はない。少なくとも近い将来にそれが訪れるというのは、自分が宝くじで1等を取るより、遙かに難しいのだろうな、そう思う。だが、少なくともそういう意識を、死ぬまで忘れたくないと思う。
 一人でも多くがそう思って生きていけば、少なくとも戦争の危機は少しは減るのじゃないかと思う。

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