先日自民党の郵政反対派の処分が行われた。
単純な感想を述べれば、だから組織というのはイヤだ、と言うことの一言に尽きる。
組織というのは組織であるだけで、秩序を求める。規律を求める。それ自体が悪いとは思わないが、往々にして、秩序や規律自体が組織やその中の個人を束縛し、本末転倒なことになる。
衆参のそれぞれの議員に対する処分が違うなんていうのは典型的な例で、組織が組織のために存在している所以だ。
そんな中で、前回の選挙の辺りから思っているのだが、野田聖子や亀井静香、小林興起と言った議員が口々に言っていたのが、自分こそが自民党を最も愛している根っからの自民党員だみたいな発言が、個人的には非常に解せなかった。
自民党等という器は、立党以来、50年体制も含め、様々に変節し、現在に至っている。多くの時代で第一党であった以外に、自民が自民である証左など、あってなきがごとき物だ。
右か左かという議論の中で、共産党の対局にいるように見えるが、戦後自民が右翼であった試しはないと思っている。そういう意味では、日本の政党は右も左も、非常に中庸を歩いてきたのではないかと思う。ちょっとした発言が右寄りに感じられるのは、日本の政治が中庸を旨としてきたせいだ。
中庸は儒教の言葉だが、仏教でも中道といい、アリストテレスも似たようなことを言っている。いわばバランス感覚と言うことだと思う。
ちょっと話はずれるが、ニュースなどで見る限り、中国や韓国、あるいはもっと広くアジア圏の多くの民族では、時折バランス感覚が悪いなあ、と思わせる映像が届く。いわばしばらく前の中国の反日本のデモ行動などはそれを象徴している。もちろん全国民がそうではないと思うが、得てしてピックアップされる映像ではそういう印象を強く受ける。
今回の自民圧勝の選挙戦なども、実はその国民のバランス感覚の悪さが実は日本人、というよりは人間には常に内在している証拠のようにも思えて、いささか居心地が悪い。なぜなら自分も自民党に投票したからだ。
さて、自民党の議員が勝手に自民党に誇りを持ったり愛着を持ったりするのは結構だが、所詮は政党というのは、政治を行うための一つのツールにしか過ぎない。私個人的に、元々郵政民営化賛成だし、いずれにしても変化ということを、旧態依然ということのもう一方の極として肯定するので、中身の如何に依らず、まずは改革という点で、以前から支持してきた。
だからといって自民を支持しているかというと、多くの面でむしろ反自民だった。いまだに第一党であるというだけで自民は好きになれない。・・・いや、これは理屈も何もないが・・・・
ただ政治というのは、私の大嫌いな言葉「清濁併せのむ」が象徴するように、きれい事ばかりではない。但し、きれい事を常に目標に掲げていて欲しいし、少なくともそこに向かって進む努力をして欲しい。
1億円もらって記憶がないと言っているのは、ロッキード事件を彷彿とさせるし、時代は変われど人間の資質などさほど変わらないと言うことなのだと思う。
されば、自民に執着する多くの議員が、世から悪しかれ「寄らば大樹」を指向していることは紛れもない事実で、よかれというのは、そこにいなければ、政治の前面で何かをしていくことに非常に困難が伴うばかりか、理想を実現することも叶わないわけで、悪しかれは、文字通り「寄らば大樹」が持つ、安定志向だ。
有史以来(というのがいつからのことなのか、アルタミラ洞窟なのか、シュメール文化なのかは別にして)、人間がたどってきた道を見ていると、確かに20世紀を経て若干の変化はある。地域的な問題は非常にグローバル化し、地球規模での平和や環境問題など、恐らく意識は高まっているはずだ。しかしその一方で、毎日のようにどこかで爆弾が破裂し、多くの人間が命を落とすという、戦いの歴史に終止符が打たれることもない。
アニメで未来が描かれると、決まって巨大なロボットが戦っていたりする。過去から現代、そして未来を見据えても戦いという場から逃れられないと思っているようだ。
必ずしも、個々人が堅持する正義を貫くことが、世の中をよくするとは限らない。正義を旗印に自爆テロを行うことだってあるだろうから。しかし、であっても、大樹に依らず、自分の思いを貫くことが、ささやかな正しい生き方の一つでもあると思う。
今回の、特に参議院議員の前回郵政に反対して今回は賛成した議員達こそ、国民の意思か何かは知らないが、情けない議員と言うべきである。
ほとんど多くのロボットもの(ガンダムを含め)は、善と悪の戦いを表現したものです。その方が判りやすいし、面白いしね。ところがつい最近終わったばかりの「機動戦士ガンダムSEED Destiny」は、様々な視点の存在をテーマの一つとしてました。前作「機動戦士ガンダムSEED」の主人公がZガンダムばりに続編でも登場するのですが、完全な善として描かれない(はずだった)、前作の敵側の視点で主人公が居るという設定で、かなり興味深かったです。
でも残念なことに監督と脚本(実の夫婦だそうです)の力量不足で、結局前作の主人公をメインにする事でどうやら終わりにこぎ着けた有様でした。でも極めて興味深かったことは、組織での個の存在(具体的には軍隊下での正義の在り方)を表現しいろいろ論じられたことです。これは前回の自民党の決議に対する、いわゆる造反議員の行為ともリンクして面白かった。組織の歯車として拒絶した彼らの、この選挙での扱いは当然だろうし、反対してなおかつ自民党に復党したいなどと言う甘い考えの人間を政界に送り出す有権者こそ、猛省すべきと言えましょう。
と言いながら、実は私もどちらかというとアウトローに近い存在かもしれませんが・・・