由比敬介のブログ
やじ
やじ

やじ

 やじは漢字では通常野次と書く。弥次と書く場合もあるようだ。どちらも当て字らしいが。
 やじには二つの意味があって、一つは野次馬のこと、そしてもう一つはやじることだ。
 広辞苑で「やじる」を牽くと

(「やじ」を活用させた語) 第三者が当事者の言動を、大勢に聞こえるよう大声で非難し、からかう。また、一方を応援するのに他方の言動を嘲笑し、妨害する。「議長を―・る」「会場で―・る」

とある。
 つまり、やじにはそもそも嘲笑とか妨害の意図があることになる。
 今日の党首討論会を見ていて、改めて思ったのだが、国会中継の時のあの議員たちのやじはどうにかならないものだろうか。とても頭が悪く見える。
 もちろん国会議員のやじには、それなりの根拠や意味があるのだろうが、テレビなので見ている限り、邪魔だし、こんな人たちを選挙で選んでいるのかと、暗澹たる思いになる。もちろん、やじだけでは「暗澹」は大げさかも知れないが、それ以外の、いつでも紛糾している政界の有り様と合わせ技一本の「暗澹」だ。
 発言する人間は、時折やじに怒りを向ける。しかし、大臣などの立場でない限り、発言者でなくなった場合には、やじっている人も多いだろう。
 予算委員会や、党首討論などで、このやじと、「質問に対する答えがない」という二つが、見ていて、とても無駄を感じる。
 よく野党が、議論を尽くせと言い、与党が十分に尽くしたという。
 しかし、例えばこれは代表質問に限らないのだが、質問に答えないという非常に不誠実な態度を、多くの政治家が採る。
 そして、何度もこのやり取りをする。その結果代表質問の時間は非常に無駄な時間を費やして終わることさえある。
 先日自殺した松岡元農相の、「適切に報告している」という、実は党から規制されていた(らしい)回答もその一つだ。何回も堂々巡りをしていた。
 それに対して、発言者が「その答えは、発言者も、国民も、マスコミも、ここで明確にできない何らかのことがあったと解釈してよろしいと言うことですね」みたいなことを言ったかどうか・・・・
 しない回答は、その質問に含まれる疑惑を肯定したのと同じというスタンスを、どんどん採ればいいと思うのだが。
 政治家は特に、「断言」をしたがらない人種だし、それは当然のことだが、当然であればそれを許していいのかと言えばそういうことではない。
 政治家も人間だし、色々あるに違いない。しかし、よりよい政治や政治家を求めるのは国民の権利だし、それができない人間は立候補などしなければいいだけの話だ。
 そう言う意味では、あのやじが持つ騒音は、僕には不適正な人物に思える。
 あのやじがなくても、政治はできるだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です