由比敬介のブログ
小泉純一郎
小泉純一郎

小泉純一郎

 国会中継の小泉首相の答弁を聞いていてよく思うことだが、何とも歯痒いと同時に、いかんよなあ、あの態度はと感じてしまう。
 世の中ではよく説明責任という言葉を最近使う。企業なのではアカウンタビリティなどと横文字を使ったりする。
 政治家の多くはその説明責任を果たす義務があると思うし、それができていない人は多い。これは国民を患者と見たインフォームド・コンセントのようなもので、単純に「私は説明した、あと何せいとうのだ?」というのは全くもって説明責任を果たしたことにはならない。相手が理解して納得できるように説明して初めて責任を果たしたことになるのであって、小泉首相のように「どこまで説明しても不十分と言われるのだから仕方がない」というような開き直りは、あたかも自分にその能力がないことを露呈しているようなものであって、もしそうであれば、首相たるに足りない人物と言わねばならない。
 ところがこれは、問題が別のところにある。彼に能力がないのではなく、作為的にそのような手法を取っているだけだと言うことである。これはあたかも、悪さをして叱られた高校生が、適当にごまかしたり、「俺はきちんと説明してるだろ」を容認するのと同じ事だ。
 妙に、郵政民営化だけに饒舌で、他のことになると、「いろいろ」だとか「~できるようにがんばって欲しい」だとか言う発言が多すぎる。
 私は個人的に郵政民営化は賛成だ。なぜかと言えば、せめてそのくらいやらなかったら、小泉が期待されて首相になり、明確な形としてなったことは何なのだ?増税だけか?というお話しになってしまうし、民営化のメリットとかディメリットとかいう話は私はやってみなければ解らないという立場だからだ。
 荒井議員が言うように。ディメリットだらけのはずはないし、小泉首相が言うようにメリットだけのはずもない。いずれにしたところで、国家規模で何かが変わらなければ、この国は永遠に変化しない。
 旧態依然とした自民党政治が続くのなら(実は現在の民主党なら、自民党政治とそれほど大きく変わるようには思えないが)、単純に世の中が良くなるとは思えないし、国家とか政治が、そもそも何のためにあるのかと言うことを問い直すような世の中にならなければ、やはり同じだという気がする。
 小泉純一郎のいいとlころは、こと郵政民営化に関しては頑ななところだ。自民党全員を敵に回してもやろうとする気概は買いたい。郵政族と言われる議員や、民営化反対の議員には、普通に考えても、利権や既存の何かを壊したくないという、国民を必ずしも向いていない背景を感じる。
 では小泉がそうかというと、実はそうでもない。ただ、変革が必要なときに、しっかりした変革を行わないで、中途半端な変化だけをあてがうと、事はより深刻になり、うまくいかないというのはよくあることだ。
 私も以前会社で経験した。
 やるなら徹底して、しっかりした変革を加えることだ。
 郵政民営化が可能なら、失敗した場合に国有化をすればいいのであって、やってみる前からああだのこうだの言うから、「族議員」というのは・・・と思われてしまうのだ。
 道路公団だって、社会保険庁だって、どんどん民間のエネルギーを入れればいい。少なくとも、「公務員は」とか「行政は」と言われない国家体制を作って頂きたい。そのためには、国民自身が大きく何かを買えていかねばならないのだろう。それがなんなのかが問題だが。

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