衆院選挙が終わった。驚くほどの自民党の圧勝で終わりそうだ。与党が衆議院の三分の二を占めることになる。もちろん、小選挙区という制度が生んだ数字という意味もあると思うが、世論が小泉自民党を支持したことには違いがない。
私は元々郵政民営化は賛成なのだが、現行通そうとしている法律は非常にいいとは言い難い。自民党の造反と言われている政治家の一部や、民主党の多くの議員ガイっていることは間違っていないと思う。だが、だから反対して通さないというのは、この改革を永遠につぶしていくことであるように感じる。つまり、ちょっとやそっとの瑕疵があろうと、まずは通すことが先決だという風に考えている。
こういう事が、全てに当てはまるわけではない。しかし、政治はそうでもしないと変わらない。
政治家が言っていることの多くは非常にもっともなことが多い。それは常に選挙前には同じだ。だが結果的には政治が良くなったように思えないのは、これまたいつものことだ。
小泉純一郎が、全ていいわけはないし、そんな総理大臣が出てくるはずもない。しかし彼が変えたことは多くある。道路公団の民営化は、一見形骸化しているようにも見えるが、民営化されたことで自浄作用も生まれてくるだろうし、世論や、マスコミなどの力で、完璧でない部分も変えていくことが可能だ。
つまりは、変えようと思ったことを変えられる人、取り敢えず初志貫徹した改革推進派(ほとんどの議員がこれであることは間違いないが)を国民が選んだと言うことなのだ。
衆愚という言葉がある。今回敗北した政治家や評論家の一部は、暗にそのことに警鐘を鳴らしている。確かにその側面はある。民主政治というのは、新党日本の田中代表が言うように、踊らされた側面もないわけではない。
だが同時に、やはり国民がこれまでの小泉政治に一定の評価を与え、もう少し進めろと言っていることでもあるのだ。
これは多分、他の人よりもやりそうだ、なのだ。
いずれにしても、自民党はこういい、民主党はこういう、社民党や共産党も、ある意味すごくいいことを言っている。だが、今の自民党は、昔よりもやりそうだと思えるのだ。その裏腹に、前回の選挙で躍進した民主党はこの間、あまり何もできていなかったという判断でもある。
人と人の関係と同様、政治も一筋縄ではいかない。もっと多くのことに変革をもたらして欲しいが、そう簡単なことではないのだろう。だからこそ、強権という言葉とリーダーシップという言葉の裏腹な意味の内から、国民は今回、後者を選択したのだ。